今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

雪道の山頂は大渋滞

 

友人ふたりを山に案内した。

数日前に関東平野に雪が降り、すぐに解けたが、

山は半分ほど登ったら岩の間には雪が残っていた。

 

ここは有名な山で、百名山ということもあって、

山道はハイカーで溢れかえるほどの賑やかさだった。

私たちは念のため軽アイゼンを持ってきていたけれど、

半分ほどの人たちは用意していなかった。

 

まさか雪があるとは思っていなかったのかもしれないけれど、

リアルタイムの情報は今はスマフォで知ることができる。

それなのに、多くのハイカーが足元は軽装だった。

それほどここは簡単な山と思われているのだ。

 

でも、雪があるとなると山は全然違う。

コースタイムは2時間半ほどだが、

アイゼンがあっても用心して歩くから歩が遅くなる。

アイゼンなしの人たちはひどく苦労している。

 

イカーの中には保育園に通っているような小さな子も多く、

運動靴で圧雪の道を登っていた。

子供連れならケーブルカーを使った方が安全なのに、

なぜか励ましながら歩かせている。

 

外国人の割合も3割ほどあり、

観光がてらという雰囲気が多いが、

中には調べてきたのかちゃんと雪山装備をしている人もいた。

 

ワンちゃんを胸に抱いて下って来る人も目立ち、

大抵がアイゼンなしの靴でこちらが心配になる。

彼らと私たちとの次元が大きく違って、

「ここは、どこ?」みたいな感じでひどく不思議な気分になった。

 

山頂直下になると夏道でも渋滞する山なのに、

軽装の人たちのために牛歩のように歩かなければならず、

なかなか進めなかった。

 

でも、キャーキャーと楽しそうな満艦飾の声が絶えまず響き、

まるでお祭り騒ぎのような賑やかさだった。

 

 

茶碗蒸しを作りながら

 

仲間が二人やってきたので、

夕食はいつものように持ち寄り宴会にした。

宴会といっても翌日の朝は遠出して登山の予定で早く起きるし、

二人ともお酒は一口ぐらいしか飲まないから質素な宴だ。

 

でも、一人はちらし寿司の入った漆の重箱を、

風呂敷に包んで持ってきて、

それを聞いたもう一人はカップに入った、

茶碗蒸しを買って持ってきてくれた。

 

私もちらし寿司なら茶碗蒸しだと思い、

朝一番で準備していた。

友達の茶碗蒸しはわが家の保存総菜に頂いておこう。

 

茶碗蒸しの友はお肉やお魚は食べないので、

鶏のお肉を出しにとれない。

そこで、シイタケと銀杏、ホウレンソウ、

頭を捻ってお肉代わりに高野豆腐の入った茶碗蒸しを作ろうと思った。

 

茶碗蒸しといえば幼年時代を過ごした町に、

昔ながらの下足番のいる老舗があって、

何かの度にそこで茶碗蒸しとちらし寿司を食べたものだ。

 

昔は出前も日常的にあって、

来客があったりすると頼んでいたものだ。

そういえば、その店は今もどうやら昔と変わらず、

下足番も健在のようだ。

 

去年の夏に帰省した折、繁華街の一角にある店に、

数十人の若い人だかりの列ができていて、

とても賑わっていたのだった。

 

おかげで食べ損ねたけれど、

ずっと人気店であるのが嬉しかった。

そんなことを思いながら、

肉無し茶碗蒸しを蒸らす私だった。

 

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偶然の不思議さ

日本画家の堀文子について、
私がかつて知っていたことと言えば、
挿絵などに使われるきれいな花の絵を描く人だということだけで、
日本の画家にそもそも興味を持っていなかったので全く関心がなかった。

 

それが、きっかけは忘れたけれど、
図書館で作家が書いたその人についての本を借りてきて読んだことがあった。
多分たまたま見たテレビで知ったのかもしれない。

 

それから10数年が経ち、その作家が書いた本の名さえ忘れていたのに、
先日、図書館に寄ったら平凡社の「別冊 太陽」に、
その人の特集があるのを見て思わず手に取った。
それは、2018年のもので彼女の百歳記念となっている。

 

表紙のサブタイトルは「群れない、慣れない、頼らない」だ。
この画家の生き方を表すピッタリな言葉である。
本の内容は群れず慣れず頼らなかった彼女の人生を解説してあり、
たくさんの美しい絵が添えられている。

 

 

そんな折、本棚を並べ直していたら、
友人に出した手紙のコピーが残っていた。
この手紙は村上龍の羅漢展に一緒に行った友への手紙だった。

2006年2月の日付だ。


何となく読んでいたら、

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「この頃、堀文子のことを書いた本を読み、とても気になっています。
作家は村松友視で、題名は『極上の流転 堀文子への旅』というものです。
内容が面白くて今度は彼女が書いた『ボルトの木の下で』という本を読んでみたいです。
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こんなことを友人に書いていた。
たまたま彼女の本を手にしている時だったから、
その偶然にひどく驚いてしまった。

 

書いたものは何でも捨ててしまうのに、
なぜ手紙のコピーが残っていたのだろう。
しかも、それが今読んでいる本の人のことについて書いてあるなんて。

 

全ての出会いは偶然だと思うけれど、
こうして過去に追いやったものが立ち現れるなんて、
偶然なのか必然なのか、とても不思議でならない。
でも、やはり、きっと噛み合わせの素晴らしく一致した偶然なのだろう。

 

 

せっかくの飲み鉄が言葉の力に負ける

 

先日の伊豆への山旅で、

帰りに買ったいつもの鯵寿司が今回はあまり美味しく感じられなかった。

その理由は一緒に旅した友達が電車の中で一口食べるなり、

「まずい!」と声を上げたせいもあるようだ。

 

東海道線は私の生活圏から遠く離れていて、

そこで得られる名物駅弁は私にとってはご馳走だった。

だから、機会があれば必ず買うのに、

友達のこの発言に大いに困惑してしまった。

 

彼女は釣り名人の夫を持ち、新鮮な魚で押し寿司も作るらしく、

それと比べて美味しくないと言うのだった。

もともとこの鯵の押し寿司は腐りやすい魚を酢で絞めて、

腐らずに持ち運べるように作られたものだ。

 

だから、魚が固く酢が強いのは当たり前なのに、

初めて口にする友人には不味く感じられたのだろう。

だのに、この私もそう言われると美味しさが激減し、

何とも不思議でならなかった。

 

表裏のない率直な友達は、

私が美味しいから買おうと言って勧めたことに対し、

何の忖度もなく自分の意見を言ったまでだ。

 

おかげでせっかくの飲み鉄のビールの味も半減したけれど、

いつかまたきっと私はこの名物押し寿司を買うに違いない。

それにしても、言葉って不思議な力を持っているものだ。

 

事前調べのおかげで山を伝って隣駅へ

 

伊豆の山を歩いて来た。
山といっても里山的な低山で、
名のあるピークは300メートル程度だ。

その途中に史跡があるのに興味を持った。

 

この付近を歩くのは初めてだし、
事前に何度も情報を調べなければならなかった。
里山は道があちこちあるので、
高い山よりルーファイ(道探し)が難しい場合が多い。

 

ネット上の記録も釈然とせず、
そこの観光課に問い合わせてみたが、
私が目指すコースの情報は得られなかった。

 

それもそのはず現地に着くと、
はっきりした案内図も見当たらず、
無人の観光案内所でもらったハイキングコースマップだけがそれらしきものだった。

 

とりあえず現場合わせで山を目指すことにしたが、
これがまた住宅地なのにジェットコースターの通るような急坂だった。
でも、振り向けば真っ青な海が覗いているではないか。

それだけでも遠く旅したなあという気分になるが、
山を始めたばかりの友には無事計画を実現し満足してもらいたい。

 

低山とはいえど知らない場所の登山口探しは難しい。

道迷いが心配だったが、自分を信じて先を急ぐ。
曲がりくねった急坂の別荘地で、
郵便配達の男性に目指す場所を尋ねたけれど首を捻るばかり。

 

道を熟知しているはずの人も分からないとは。
上に行けば必ず古道の入口にぶつかるはずと、

事前調べで分かっていても少し不安になった。

 

それでも下調べを信じて進むと、古道入口の標識に着いた。

その辺りは別荘が多く、さいわい畑仕事をしている男性がいた。
その人に隣町まで古道を縦走すると言うと、
最近は荒れているかもと親切に教えてくれた。

 

一安心して時折海原がチラチラと覗く道をお喋りしながら進んだ。
駅から次の駅まで山伝いに歩くのは昔の人たちの苦労を偲ぶ事ができ、
感慨もひとしおだ。

 

以前は車道などなかった。
追い剥ぎや盗人が潜んでいたに違いない。

今はこうして私たちのように古道を探して、

遠くから日帰りで訪ねてきている。

下山した海ではこの寒いのにサーフィンしている人もいた。

そういう意味では良い時代に違いない。

 

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釜めしにラーメンがついて

 

友達に誘われて釜めし屋さんにランチを食べに行ってきた。

この店には何度か来たことがあり、

ランチタイムはいつも込み合っている。

特に女性客に人気がある。

 

この日も奥の座敷のテーブルが一つ空いているだけで、

お店の人は対応におおわらわの様子だった。

ランチのセットはメインの釜めしに麺類がつく。

コーヒーは飲み放題だ。

 

麺類にはお蕎麦とうどん、それに何とラーメンもある。

最近のお店は一品というよりこうしたセットが多い。

客は一食でご飯も麺も食べなければ満足できなくなったようだ。

 

この私もランチタイムにお店に行く場合、

必ず友達二人で分け合って食べるし、セット物を注文する。

種類が多くないと満足できないのである。

 

以前は食べ物屋さんはお蕎麦は蕎麦屋

とんかつ屋は豚カツと一品だけのものがほとんどだった。

いわゆる専門料理店だった。

 

お蕎麦の美味しい店、豚カツの美味しい店、

らへ麺の美味しい店などそんな感じだった。

でも、今では何でも網羅したお店に人気がある。

 

この日、私が注文したのは、

ラーメンのセットされたメニューだった。

釜めしとラーメン?とてもミスマッチな気がするけれど、

そんな舌の繊細さはなくなってしまったみたいだ。

 

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客間がないからテント泊で

 

遠方から家にお客が来る場合、
最近はホテルに泊まってもらったりする人もいる。
親族でもそうする場合もあり、
昔とはずいぶん変わってしまった。

 

これは住宅事情もさることながら、
おそらく私たちの住まいのスタイルや他者との関係が、
以前とは変わってしまったことが要因だと思う。

 

広い家には座敷があって、座布団が何枚もあった。
今では家族中心の普段使いのリビング重視で、
客間などない家がほとんどだ。

 

昭和の時代には自宅に親類や友人、
それに近所の人たちが集うのは当たり前で、
家には客間というものがあった。

何しろ結婚式まで家でしたというのだから。

 

わが家には友人が宿泊を前提に年に何度かやって来る。
そんな時は客間などないから個室を大掃除して、
客人の寝室に替えている。

 

泊るのは山の仲間ばかりなので、
敷き布団を床に並べれば、
最低8人は横になることができる。
コロナ前の山小屋スタイルである。

 

仲間は各々がシュラフ持参なので、
私の仕事は大掃除が主だ。
人が来るとなると隅々まで掃除しなければならない。
これは、掃除の苦手な住民の住むわが家にとっては、
部屋がきれいになる好機でもある。

 

先日は友人が珍しく一人だけだったので、
初めて私の寝室にお布団を敷いてあげて、
寝てもらった。

 

私は神経質で物音や気配で目が覚めるため、
部屋の隅に登山用のソロテントを張り、
中にライトや水を置いて個室を作ってあげた。
ちょっとしたグランピング?もどきである。

 

そうすると、友人も落ち着き、
私も静かに休むことができる。
案の定、翌日、彼女はぐっすりと眠ることができたと、
とても満足げにリビングに降りてきた。

 

この一人用の軽量テントは今は山ではほとんど使わなくなって、
たまに室内で張って小さな子を遊ばせたり、

シームテームの劣化や小穴探しの、

メンテナンスをしているだけになった。


だから、テントにとっても来客があることは良いことだ。
少人数の仲間の場合はまた使ってみようと思う。

 

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