今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

かけ放題を忘れると電話料金はたまげるほど高い

 

携帯電話をキャリアから格安の通信会社に取り替えてから、

早くも1年以上が経つ。

通信環境はキャリアと比べると不安定なことも多く大分劣るけれど、

どうにかこれまで何事もなく過ごしてきた。

 

このスマフォ契約は電話がアプリでつながりかけ放題になっているのが、

以前の5分電話のキャリア契約と比べ大いに魅力だ。

昨今は直接電話で連絡し合うことが減ってはいても、

時には友人から電話が来たりする。

そういう場合、長電話をしても気にならずかけ放題は有難い。

 

今日は庭仕事をしていて友人の電話に気づかずにいた。

部屋に入り、画面を開くと赤い着信マークがあった。

すぐに返信をプッシュし、久しぶりの会話を楽しむ。

 

画面がいつもと違うのに「オヤッ?」と思ったけれど、

そんなに気にせず1時間半ほども楽しくお喋りしてしまった。

ところが、見つめる画面はやはり妙な感じがした。

 

もしかしたら無料アプリ電話を使わず、

普通の電話でかけたのではないか。

私はあわてて友人の着信マークの場所で返信したのだ。

 

これは相当の電話料がかかるかもしれない。

ネットで調べたらこのスマフォ契約では1分が40円以上もする。

とすると、電話料金は5000円近くなるではないか。

 

とても落胆して別の友人に愚痴ってみたら、

彼女がこう言った。

「楽しい時間を過ごしたのなら安いもんだわ」と。

 

この言葉で少し気が楽になったけれど、

今月の請求額が恐ろしくてならない。

 

明かりの有難さ

よく行く自然公園の散歩をしていたら知り合いに会って、

違う道を行かないかと誘われた。

自由な時間は6時まであったので気軽にオーケーし、

二人でおしゃべりをしながら歩いた。

 

その人が案内してくれた道は岩稜の続く小さな丘陵で、

足場をいちいち選びながら歩かなければならなかった。

そのせいで2時に歩き始めたのが、

あっという間に4時を過ぎてしまった。

 

知人はいつも歩いているコースで慣れているし、

私より足が断然速く、少し沈黙が続いたと思うと、

もうはるか彼方に後ろ姿が去っているという感じだった。

 

そのせいで新しいコース巡りは大分時間を過ぎてしまい、

知人と別れた後は足元が暗く、

ヘッドランプをつける羽目になった。

安物のライトでも足元が照らされると、

夜道の心細さがなくなり少しホッとする。

ライトをつけて歩いたのは初めてかもしれない。

 

そして、歩を進めると明るい時なら見ることのない街の夜景が、

パッとこの目に飛び込んできた。

なかなか美しいではないかと嬉しくなった。

 

子供の頃、夜景の見える場所に住んでいたせいか、

街の夜景を見ると何となくホッとする。

そもそも光は電気であれ焚火の炎であれ美しいのだ。

 

電気のなかった時代も民家の明かりがどんなに救いだったことか。

人は明るさを求め進歩してきたのだろう。

もし、電気が消え世の中がまことの闇になったとしたら、

一体人はどれほどの恐怖に襲われるだろうか。

プラごみを増やす衝動買い

 

趣味の会の帰りに久しぶりに大きなスーパーに寄った。

最近は家の近くに安売りのお店が増え、

この大型店にわざわざ行かなくても用は済んでいる。

 

でも、時には違うお店で買い物をしたい。

ミサイル攻撃に耐えているウクライナの人たちのことを考えると、

そんなこととても贅沢な欲だけれど、

まっとうな資本主義世界では当たり前な欲だろう。

 

そこにはお店独自のブランドがあって値がとても安くつけられている。

こうした独自ブランドは食品工場に大量発注しているのだろう。

そうでもなければ値を安くはできないはずだ。

 

もともとの有名ブランドとほとんど味の変わらないマヨネーズやケチャップ類、

そんな品が特に多いようだ。

買い物客は若いファミリーが目立つ。

 

私はいつも買ってくるのは安価なインスタントラーメンである。

インスタントラーメンも世界的な燃料高騰と円安のせいで、

最近とても高くなった。

それでもこの店が仕入れている激安?ラーメンは、

コマーシャルに流れているような大手ラーメン会社のものと200円は違う。

 

味は好き好きがあるけれど、

むしろ私にはこのラーメンの方が好みだ。

大手のものは塩分が強い気がする。

 

そんなわけでインスタントラーメンを買い物かごに入れたけれど、

1割引きの生寿司に目が眩み衝動買いしてしまった。

結局、夕食作りをさぼることになり、プラごみも増やすことになった。

 

 

 

 

 

カタクリ満開もすぐ

 

散歩道に可憐なカタクリの蕾がぽつんと顔を出していた。

この花は大地に根付いてから8年ほど経たないと花が咲かないらしい。

小さな草なのにどうしたそんなに時間がかかるのだろうか。

 

この花は下を向いて淋しそうに咲くけれど、

群生を好むのでこの時期になると、

あちこちの名所はカタクリを愛でる人で賑わう。

斜面一面が赤紫に染まる様子は春の喜びを感じるし、

万人にとても人気がある。

 

誰もいない静かな斜面にかなりの数の葉が出ていた。

見つけた蕾はたった一つだけだったけれど、

おそらくあと一週間ほどで咲きそろうに違いない。

 

カタクリユリ科なので、大昔にはその球根から片栗粉が作られていた。

こんな愛らしい花さえも掘って食用にしていた時代があったのだ。

美しいとかの情緒などより生きるための糧が第一だった。

昔の人の食べるための苦労は大変だったと思う。

 

近くにはそろそろ終わりかけのマンサクも見られる。

マンサクも春になると真っ先に咲く山野の木の花である。

高いところに咲くのでカタクリと違ってカメラに収まるのは難しい。

 

カタクリの葉を踏まないように注意して土の斜面を登る。

まさに春爛漫。

今年の春は何て早いのだろう。

 

梅林の梅の花は散り始め、時計の針が勢いよく回り、

桜の便りも来そうな勢いになっている。

 

 

ピークハンターではないのに

 

雪道を歩きたかったので遠出してきた。

今年も車にスタッドレスタイヤの出番はなく、

タイヤ交換などしなくても良いのが当たり前になりそうだ。

 

それでも、少しばかり雪山を感じたい。

冬用タイヤはそんな思いのために4月になるまでつけたままにしている。

大体車も毎年、一度だけ雪道を走ってみる。

 

去年は行けなかったから、

今年はどうかと思っていたけれど、

やはり、アプローチの道はすっかり乾いていた。

高原道路の車窓に映る白樺の森に残雪のかたまりが一つもなかった。

こんな光景は珍しい。

 

そんなわけで安全に駐車場に着いたのは良かった。

何しろ雪の坂道はとても恐いし、運転経験も少ない。

私の雪道体験とはせいぜいこの駐車場の先にある、

日陰の車道50mを走ることなのだから。

 

この山は雪の季節はいつもなら駐車場を降りた途端に地面は凍っている。

ところが、森に残雪が見えなかったように、

今日はアスファルトが乾ききっている。

あんなに寒かったのに今年は暖冬だったのか。

 

駐車場の先には山へ入る登山口がある。

下山してきた女性がそこでアイゼンを外していたので、

私も早速冬靴に装着することにした。

6本爪の軽アイゼンを使うのは2年ぶりだ。

 

嬉しいことに登山口からの斜面道には雪が残っていて、

アイゼンのザクッザクッと刺さる音がとても心地よく響いた。

今日はこの感じを味わいたいために来たから、

お昼近くの遅い入山となった。

 

歩き出すとすぐにお昼になったので丸太に腰掛けおむすびを食べて休み、

一つだけでもピークを踏めたら良いなあと思いながら、

熱いお茶をのんだ。

 

尾根に着いたらここには小さなピークがいくつかあるから、

3時までに下山するには一つぐらいは行けるかもしれない。

だから、急ぎ足で歩いた。

でも、アイゼンの歩行は普通とは違う。

 

ピークの直下は急峻な場所があり、

それを思い出してしまい何だか心が萎えてきた。

時間は2時に近いし、ここで引き返そう。

 

3時には駐車場に戻り、

雪の残る駐車場奥の日陰道を50mほどだけ走ってUターンした。

ここはなぜか雪が凍って残っているから、

下手に止まると車体が滑ってしまう。

雪道の恐ろしさを忘れないようにこのぐらいは経験しておきたい。

 

そんなミッションは済んだのに、

目の前のピークを踏めなかったことで心がモヤモヤとしていた。

遠い道のりを来たのだから無理しても行けばよかった。

ずっとそう思いながら帰路を急いでいる自分がいて、

いつの間にそんなふうになっていた自分に驚くのだった。

高野豆腐は優れた備蓄食料

 

先日はインスタントラーメンを火を使わないで作った。
これもサバイバルの一つと思うけれど、
よく考えたら我が家はいざという時の備蓄袋の用意をやめた。

 

311の後は真剣になってリュックに水や食料品などを入れ、
玄関の近くに置いて用意していた。
でも、時が経つうちに食品の賞味期限もあるし、
いつの間にか相当に重かった備蓄リュックは姿を消している。

 

ウクライナの戦争やトルコの地震などを思うと、
いざという時の備蓄は常備した方が良さそうだ。
この数日、本棚の整理などしているので、

ついでに今度はそれにも手を付けよう。

 

ところで、備蓄食料はすぐに食べられるフリーズドライのものも良いけれど、
日本には昔から伝わる保存食品がある。
たとえば高野豆腐やお餅などは優れた保存食品ではないだろうか。

何より値段が比較できないほど安い。

 

ところで、日常的なことでも、

毎日のように使うお豆腐や納豆類は買いだめが利かないから、
時々冷蔵庫の中に入ってなかったりして困ることがある。


そんな時、お豆腐は高野豆腐で済ませる。

私の場合、高野豆腐を大きいままお鍋に入れて、
柔らかくなったところで取り出して食べやすく切り、再び汁に戻す。
この方法だとお豆腐がないことに突然気が付いても大丈夫だ。

 

 

生のお豆腐と触感は違うけれど、冷凍され発酵され、乾燥させてあるので、
栄養分はより高いように感じる。
もともとこれは大昔に中国から伝来し、
高野山の土産物として用いられ、高野豆腐と名付けられた。

弘法大師が広めたかどうかは定かではない。

 

東北では凍り豆腐や凍み豆腐などと言われ、
昔から日本中で食べられてきた。

高野豆腐に限らず、いざという時まで保存しておくことのできる食べ物は、
きっともっとたくさんあるはずだ。

できれば手作りで作ってみたい。

 

サバイバルに強くならなきゃ

 

友達と二人で隣町の自然公園を散歩した。
お昼は野外飯と決めていて、ザックにはいつものラーメンが入っている。
今日はそれを火を使わずにできるかどうか試してみた。

 

猛烈な風が吹いている中、ラーメンをコッヘルに入れて、
その中に熱い湯を注ぐ。
魔法瓶は山専用ボトルの優れもので、

3時間経っているのにまだ熱湯に近かった。

 

さて、コッヘルに麵に被るほどのお湯を注いでキルトの袋に包む。
それをお腹に抱え込んで待つこと約10分。
恐る恐る蓋を開け、麺をお箸で取って口にしてみると、
普通に食べることが出来そうな感じだった。

 

そこにあらかじめ刻んできたネギとハムを入れ、
スープの素を入れてかき混ぜる。
ふむ、味はそんなに悪くないし、麺もゴワゴワしてはいない。
これなら野外では十分だ。

 

世の中には自然災害や戦争で、

当たり前な暮らしができない人がたくさんいる。
私たちもそんなときがやってくるかもしれない。


それがいつなのかは神のみぞ知るだけれど、
少しずつ知恵を働かせ、

サバイバルに備えていこうと思う。

 

火を使わないインスタントラーメンでもおいしく食べることが出来る。
この発見は大きい。

またやってみようと思っている。