今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

食料品の値上がりに音を上げそう



近頃何もかにも値上がりしている。

コロナ以前辺りは5000円も買い物すれば買い物バッグ二つ分ほど、

食料品を買うことができた。

 

ところが、最近は同じ金額でもどうやら4分の一ほど目減りしている。

買い物をした後は、それを冷蔵庫に入れる前に、

選別して床に並べる作業が大変だったのに、

今では買い物バッグから直接冷蔵庫に入れることができる。

 

一つ一つの食品の値段を覚えてはいないけれど、

お砂糖や小麦粉などの保存できる食料品は何となく覚えていて、

同じ1キロ入りならその値上げの程度がよくわかる。

好物の手延べ素麺は幸いにまだ値上がっていないけれど、

そのうち内容量が減るかもしれない。

 

でも、最近は容量を少なくして同じ値段で売られたりしているので、

その値上げ程度がピンと来ない。

売る側も相当に苦労しているのだと思う。

 

食料品は絶対に買わなければならないから、

お店が閉まることはあまりないけれど、

それ以外のものを扱うお店は客も減って、閉店を余儀なくされる。

 

近くにあった趣味のお店もきっとやっていけなくなったのだろう。

今月の初めに閉店してしまった。

この店ができた時は深海魚やサンゴなどの生きた陳列品がとても面白くて、

中を歩いて回るだけでも楽しかった。

 

とはいえ、実際にそこで何かを買ったのは数回しかない。

趣味の店だから食料品のようにはいかないのだ。

でも、店側は大きな店舗のテナント料や高騰した電力などの維持管理費、

それに人件費で大変だったに違いない。

 

こうして自分の周囲の変化だけでも、何だか暗澹としてくる。

これ以上世界情勢、エネルギー情勢が悪化しないことを祈っている。

 

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お布団を処理センターに捨てに行って

 

先日、市のゴミ処理センターに掛け布団と敷布団を捨てに行った。
先月も敷布団を2つ持っていき、どちらも軽量は20キロだった。
おかげでわが家の布団棚は大分すっきりした。

 

私の住むこの町は100キロまでは無料で捨てることができる。
それ以上だとお金がかかるらしい。
家から近いので折につけ年に何回かは利用している。

 

処理場は入口に車の総量を計る場所があり、
そこにデジタル機器があって、
機器に免許証を差し込み受付をする。
帰りはまたその反対側で車を計り、
受付時の重さの差でゴミの量が出るようになっている。
市のゴミ収集車も同じ場所で計測している。

 

この時はもう使うことのない綿の布団を持って行った。
受付の人にお布団は衣類で「資源ごみ」だと言われた。
矢印に沿って資源ごみの場所に行くと、
お布団は「燃えるゴミ」へ持ち込むように言われた。

 

処理場の中でもゴミの区分けが統一されてないのかそういうことだった。
車をバックして止め、大きな布団を伐採ゴミや生ごみや、
その他ありとあらゆるゴミの見える巨大なゴミ捨て場に投げ落とす。
施設全体に独特なゴミのにおいが充満している。

 

生け垣の伐採ゴミならいざ知らず、
かつてはずっと使っていた思い出深いお布団などを投げ捨てる時、
この作業は毎回身につまされる。

 

半世紀前の世界だったらゴミ処理センターに運ばれるゴミは、
きっと宝物だったに違いない。
綿が買えなかった時代は田舎は藁布団だったと聞いたこともある。
衣類に加え、椅子やテーブルなどの粗大ごみならなおさらである。

 

でも、ここは使えそうな自転車や家具、台所用品など、
時々再生されてリユース品頒布会があるらしい。
世の中、ゴミで溢れているのだから新しいものを手に入れるより、
古いものを再利用することは未来のためにもなる。

 

恐らくここで働く人も毎日資源ごみが持ち込まれ、
他人のものとは言え、それらをゴミにするのが忍びないのだろう。
勝手な想像だけれど、もしそうならせめてもの救いに思える。

(写真 まだまだある捨てる予定のお布団たち)

 

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草むらのカオスにクモの糸

 

草むしりをしていたら何かが光っているのを見つけた。
朝露が光を反射してダイヤモンドのようにキラキラと輝くのは、
植物ではなくてもいろんなものでも見ることがある。

 

今朝はその光は様子が違い、
光ではなくて幾何学的な何かの模様になっていた。
純白だから光って見えたのだった。
まっすぐな螺旋階段、そんな感じだ。
真ん中には主のようにクモが足を広げていた。

 

自然の形は直線はあり得ず、

何もかにもがでいわばカオス状態で成り立っている。

それがこうして左右対称の形状を見せるなんて、
異質なものを感じさせられ、そのせいで私の目が奪われたのだ。

 

近づいてよく見るとクモがそれを作っていた。
クモといえば体から糸を出して網を作り、
あちこちの草むらや木々の中で飛び込む餌を待っている。
そのクモの網作りの最中だったのだろうか。

 

それにしてもこの等分に配置されたクモの巣階段の美しいこと!
初めて見たので驚いてしまった。
すぐに写真を撮って拡大して見たら、
その周りにちゃんとした丸いクモの巣が透明の糸で編み上がっていて、
美しく光っていた。

 

とすると、この白い階段状のものは一体何なのだろう。
自然界には分からないことが多すぎる。
人間は材料を探して道具を作り、そして、道具を使う存在だけれど、
このクモは自分の体内から材料を生み出し、
捕獲網という道具を作っている。

 

ずっと観察しなければならないけれど、
忙しすぎる人間の私にはそんな時間はない。

 

 

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青トマトを炒めてみた

 

大きなトマトが一つだけ赤く色づき始めて、
その色が濃くなるのを日ごと楽しみにしていた。
今朝はついにもう採っても良いかなと思うほど、
熟れた赤色になっていて、ワクワクしながらハサミを手にした。

 

今年はこの桃太郎という大粒の品種のトマトを3本しか買っておらず、
1本は野菜ジャングルの中で消えてしまい、
普通に育っているのは2本しかない。

 

他には鈴なりに実をつける赤や黄色のミニトマトが5本ほどあるけれど、
毎朝収穫のあるそれに比べると、
大きなトマトの方が手にした時の喜びは俄然大きい。

 

それなのに今朝はハサミで実の付け根を切ったと思ったら、
間違えて主枝に刃を当てたらしく、
何とどさっという音とともに青いトマトごと落ちて来た。
その数は全部で5つだ。

 

切ってしまったのだから手遅れとはいえ、残念でならなかった。
だから、何としても青いトマトを利用したかった。
前にこれをぬか漬けにしたことがあり、
毒というわけでもないのは知っていた。
そこで、薄切りにして野菜炒めに利用することにした。

 

ちようど友人に頂いたズッキーニがあったので、
人参とピーマンも加え長めに炒め、
隠し味の砂糖や自家製ビネガーと合わせて、
最後にナンプラーを振りかける。

 

アイボリー色になって透き通った薄切りのトマトを、
恐る恐る味見してみるとこれがなかなか美味しい。
舌触りはふわっとしていて、
青トマトから出る自然な酸味が特徴だった。
試しだったから半分しか使わなかったけれど、
この分ではしばらくおかずの一品に役立ちそうだ。

 

 

ただでさえ食品ロスが問題になっている昨今、
自分が育てた野菜はなおのこと無駄にしたくない。
熟成半ばで切られた青トマトもきっと喜んでいるに違いない。
これからどんどん食べることにしよう。

 

 

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夏の里山もいいもんだ

 

静かな里山をひとりで縦走してきた。
コースは標高400メートルほどの低山の尾根道で、
下山すると30分ほどの場所にバス停がある。
このバスに乗れば帰りは楽勝だ。
でも、バスの時間は調べていなかった。

 

いつもなら一つ目のピークで戻ってきて、
約2時間半ほどの行程で済む。
今日は久しぶりにその先まで行って、
縦走することにした。
何しろこう暑くては家にいても家事も滞り、
頭も働かず、山を歩いた方がリラックスできる。

 

夏の里山は暑いと思われがちだけれど、
森に囲まれた山道はむしろ涼しくて心地よい。
カンカン照りの尾根だって、
家でじっとしているよりも快適だ。

 

道中はGPSで現在地が分かる登山アプリと、
以前の記憶を頼りに進んだ。
日が長いから遅くなっても構わない。
バスがなかったら歩いて戻るつもりだ。

 

アップダウンをいくつかこなして、
最後のピークは避けて標識にあった近道を通った。
近道はピークを踏むのと比べると、
トラバースして進み、道は平たんだし、
時間は3分の一に短縮される。

 

でも、かつての私は常にピークを踏んで歩いていたので、
この道は記憶になく、少し不安だった。
暗い杉林の中の歩きやすい道を進み、
少し明るくなったところで道が3つほどに分かれる地点に着いた。
登山アプリには「迷いやすい」というユーザーのコメントがあった。

アプリはこんなことまでできるのである。

 

光の差す右へ行くと少し藪漕ぎになり、
足元にはワラビが残っていた。
なぜかあまり使われていないような東屋もあった。

アプリには存在しないからメインではないみたいだ。

 

食べられそうなワラビを嬉々として探し、しばらく小休止。
雑草の中に踏み跡が見えたので、
ここからもどこかへ下山できそうだった。
でも、本来のバス停に降りるために三叉路に戻った。
知らない道や自信のない道は避けるべきだ。

 

歩き出してから4時間後、
見覚えのあるお寺に着き、冷たい沢水で顔を浸して、
バス停までの30分を歩く。
山道と違い住宅のある車道は疲れの感じ方が違う。

 

バスは平日は3本だけで1時間前に行った後だった。
おかげで万歩計の数は22200歩。

山の歩数としては上出来だった。

 

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大井川にかかる長い木の橋

 

東海道中で最も難所といえば大井川だろう。
この川には橋がなく道中の客は、
人力に頼るしかなかった。

 

そもそも橋がないのは度重なる洪水のためもあるが、
江戸幕府の防衛上、敵の侵入を防ぐ理由もあった。
相当な人数が西から東、東から西へと移動していたので、
川で働く「川越人足」という男たちはかなりいたのだと思う。


錦絵の「東海道川津尽 大井川の図」は、
子供の頃からとても興味を引いた。
波立つ川に裸の男たちが遊女らしき客や、
大名行列の籠ごとまるでみこしを担ぐように、
対岸まで運んでいるのである。

 

これを見た時は、客の着物は濡れないのかとか、
人夫が転んで客もろとも溺れたりしないのだろうかとか思った。
また寒い時期も渡ったのかも疑問だった。

 

少しずつ東海道を旅している私が、
今回訪れた場所が渡しのある島田宿だった。
駅の観光案内書で尋ねたら、
ギネスに認定されている木造橋を教えてもらった。

 

今では鉄道や新幹線、車道など幾つも長い橋が架かっている。
でも、昔は橋がなかったのだ。
明治になって職を茶作りへと変えた武士たちがこの地域を開発し、
川向うとの利便性のために農道として木の橋を作ったという。

 

1キロ近くもあるこの橋から大井川の主流を覗くと、
高所恐怖症の私は足がすくんだ。
それに、ここを「川越人足」たちが生業の場にしていたと思うと、
昔の人の体力と忍耐力に頭が下がる。

 

今は何もかにもが人手がいらず、利便性だけの世の中になった。
でも、この長い木造橋は壊されずに残され、
今も農道としての役割を果たしている。


その景観も素晴らしいので、観光客の渡り賃100円は安いものだ。

(写真は天理参考館展示のもの)

線状降水帯の最中に旅をした

朝から大雨が降っていた。

駅まで行く間、歩道には靴が浸かるほど水が溜まり、

車道からは水しぶき烈しくズボンに降りかかる。

 

折りたたみ傘が飛ばされないようしっかりつかんで歩かねば進めない。
少し前に隣の市が線状降水帯に覆われたらしく、

そんな中で電車が動くのかと案じていたが、

構内では何のアナウンスもないので改札に入った。

 

心配した通り4駅ほど走ると電車は止まり、

スマフォから緊急速報の音が響いた。

乗客は少なかったけれど、全員のスマフォからブザーが鳴り、

いかにも緊急事態という雰囲気だった。

 

地震では何度も経験したけれど、緊急避難の警告は初めてのことだ。
確かに車窓から見た川の流れが尋常ではないほどで、

列車が緊急停止したのはあり得ることだった。

 

車内放送によると、雨が規定量を超えたから上下線とも止まっているという。
しばらくすると戻る電車は動いたけれど、いつか解除されるかと思い、

濡れたズボンを擦りながらそのまま1時間半ほど我慢して待った。


30分ほどで新幹線は動き出したとアナウンスがあった。

なのに、在来線のこの電車はまだ線路の点検もしていないなどと言う。]

そのアナウンスは数分おきに何度も繰り返された。

そのうち復旧は3時過ぎになるとか。

 

クーラーは入ったままなので体中が冷えていた。

このままでは風邪を引いてしまう。

我慢できなくなった私は、ついに発駅へ戻ることにした。


皮肉なことに駅に戻ると、列車は動き出したようだ。

あのアナウンスは何だったのか。

しかも、約2時間も在来線は止まったのに、

新幹線はたったの30分ほどで点検が終わっている。

 

普通切符の買いづらさと言い、こうした非常事態の対処と言い、

鉄道会社の姿勢は利益優先だとよくわかる。

私のような在来線利用の少数派はますます旅がやりづらくなる。
時代遅れの詩を思い出した。