今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

旅先で知り合った女性と再会

 

北海道で函館山の夜景を案内してくれた親切な女性と、

何と帰ってからほんの10日後辺りに再開することになった。

余りにもすぐなのでとても驚いたけれど、

彼女は前々から上京する予定で、用がない1日を使い、

私の住む町へわざわざ来てくれたのだ。

 

これだけでも滅多にないことである。

彼女と電車(実際はディーゼル?)のボックス席で一緒になったことが、

どれほどの確率だったのか考えてみた。

 

ほんのちょっと違う席にいたら出会わなかったし、

今回の訪問もあり得なかった。

また私たちが見知らぬ人間に対して大方の人のように身構えていたら、

会話すらもなかったはずだ。

 

つまり、これをいわゆる「縁」というのだろうか。

偶然が私たちに新しい出会いの場を作ったのかもしれないけれど、

必然と言えるのではないかとも思う。

 

スマフォに支配された世界の中で、

私たちが現実に出会い、また再会するなんて、

これを奇跡と言わずして何というのか。

 

彼女を駅に迎えに行くと、

山歩きの好きな彼女に私の軽登山靴を貸してあげて、

いつも歩いているラージヒルの散歩道を案内した。

これは函館で約束したことでもあった。

 

そこは函館山と同じぐらいの標高だけれど、

岩だらけの道ばかりで彼女は驚いていた。

途中であった老人男性も「ここは散歩のつもり」と言うものだから、

遠来の彼女はたいそう驚いた。

 

確かにその道は転んだりしたら滑落して危険なのだ。

現に去年も転んで亡くなった人がいるらしい。

散歩も命がけに感じたようで、

彼女の北関東訪問はとてもスリリングで、

かつとても楽しい思い出になったようだ。

 

案内して本当に良かった。

それより何より大切な時間なのに、

わざわざ電車に乗って会いに来てくれたのが嬉しく有難かった。

 

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焦げたへらに素敵なガーデニングのあった家を思い出す

 

洗濯ものを片づけに二階に行っていたら、

何やら焚火の匂いが部屋に漂って来た。

近くの農家がわらでも燃やしているのだろうか、

でも、窓も開けてもいないのにと不思議に思い、

下へ降りたら居間はもっと強い匂いがした。

 

キッチンを見ると、煮物を温め直すために鍋に火を入れたままだった。

鍋の中が焦げていたのではなく、

横に置いていた木のへらが大きな炎を上げて燃えていた。

その燃え方が完全燃焼状態で煙が全く出ていない。

そのため燻製をしただけで反応する煙探知機も作動しなかった。

 

私は慌てて燃えるへらを水につけて消した。

汁は半分ほどに煮詰まっていて煮物は大丈夫だったけれど、

壁に大型のカレンダーを貼って油除けにしているので、

それに燃え移らなくて良かったと胸を撫でた。

 

それで思い出したことがある。

よく通る道路沿いに火事になってそのままになった家があるのだ。

もう2年ほど前からそのままになっていて、

家の外観は洋風でそれほど古くもなく残っているので、

パッと見たでけでは分かりにくい。

 

だけど、よく見ると内部は焼けてしまって焦げた柱が残り、

不燃材の外壁が立派なだけに異様な姿に映る。

ここの住人は見たことはないけれど、

ガーデニングが趣味らしく四季折々赤や黄色の様々な花が咲いていた。

 

夏には決まって緑のカーテンが窓を覆いいかにも涼し気で、

車でなかったらお邪魔して見せてもらいたいほどだった。

それが、今では庭には雑草が生い茂り、見るも無残な光景になっている。

 

ここに住んでいた人はどこへ行ったのだろう。

解体工事もせず、こうして建っているのを見て苦にはならないのか。

もしかしたら身寄りのいない老夫婦だったのか。

それとも不幸なことに火事で亡くなったのだろうか?

 

ここの住人にどのような物語があったのか。

この家はずっとこのままなのだろうか。

そんなことを思ってはいつもこの前を通り過ぎる。

 

乾燥した日が続く。

私も火を使ったら絶対にその場を離れないようにしよう。

それとも電気に変えようか、真剣に考えている。

 

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夜明け前のウォーキングの魅力

夜明けが遅くなったので、夏の間やめていた散歩をするようになった。

なぜ暗い中が良いのかというと、

明るいと車も多いし、何より世間が見えてそのせいで心が散漫になる。

また、本当の黎明というものの凛とした美しさにも触れることができない。

 

身の引き締まるような冷気が一層精神を高揚させてくれる。

真っ暗な地上のそのまた上には、

晴れた日には一番星が光り、頭上近くにオリオンが瞬き、

その隣にはうっすらと北斗七星が確認できる。

 

そして、毎日少しずつ形を変えていく銀色の月が煌々と輝いている。

この月を昔の人は毎日眺め、

日々の進み具合に一定のリズムがあることを知った。

 

もし、私がその時代の人間だったら、

月の形の変化を観察するなど思いもつかなかっただろう。

でも、三日月と半月、それに満月ぐらいには名前を付けたかもしれない。

 

雨でもない限り、毎朝5時頃から30分だけ歩数にすれば4000歩、

家の周りを歩いている。

ここは平野地なので坂は一切なくて、

道を渡るのにわざわざ歩道橋を利用することにしている。

それも脛を伸ばして階段をよいしょと2段ずつ歩くのだ。

数えながら歩くのでいつも19歩である。

 

この2段歩きは私のたまの山歩きのために役に立っている。

これがいつもの歩数でできない時は何か風邪を引いたりして調子が悪い時で、

歩道橋の2段歩きは健康のバロメーターにもなっている。

 

散歩の間、周りは暗くて、

誰かとすれ違っても寝静まっている世間のために挨拶などしない。

頭には室内用の大きなヘッドフォンをつけていて音楽が流れている。

 

最近聴いているのはショスタコーヴィッチ7番のレニングラード

第二次大戦でナチス軍が条約を破って侵攻し、

街が包囲された時に作られた曲だ。

ふとガザの人々を思い起こす。

 

全く癒しのない曲だけれど、

かえって夜明け前の歩きにはふさわしい。

 

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ひとりで散策する楽しさ

函館の旅④

 

函館の旅の1日目は函館山を歩いて登り、

夜景を見物するために暗くなるのを待ってバスで往復してきた。

二日目は幸い天気も良く、

予定通りレンタカーで調べていた恵山という山に登った。

 

さて、3日目だがこの日の朝ごはんは、

駅から歩いてすぐの朝市の場所で食べることにした。

一緒に来た友人が食事を楽しみにしていたので、

まだ八時を過ぎた頃だったが、空いているお店を探して入った。

 

北海道はホッケなどの大型?のお魚がとても美味しいらしく、

温泉でその話を聞いた友人はホッケ定食にこだわった。

私は海鮮丼と決めていたので、

別々に好きなお店に行こうと提案したけれど、

ひとりの苦手な友人が折れて海鮮の店に入った。

 

私たちが店のメニュー写真で選んだのは、

ウニやイクラ、ホタテ、鮭などの新鮮なお刺身の海鮮丼だった。

お魚はとても美味しかったけれど、

ご飯があまり美味しくなかった。

きっとジャーで保温されているからだろう。

丼はお米が炊きたてのものが美味しいに決まっている。

 

それでも1900円は安い。

ウニやイクラを食べるとなると築地でも相当するだろう。

北海道はインバウンドが多いと聞いたけれど、

築地ほどではなく、また国内値段の感じがする。

築地は昔のままの場外市場でも新しくできた豊洲千客万来でも、

料金が外国人値段になってしまい、手が出ないのだ。

 

食後は市電に乗って湯の川温泉に降りて友人と別れた。

彼女は私と違い、歴史や歴史的建造物に興味がないので、

夕方に駅前に戻る約束をして温泉に行ってもらうことにしたのだ。

せっかくはるばる来たのだからこれは致し方ない。

 

クッキーで有名なトラピスト修道院にはバスがなかったので、

駅に戻ってレンガ倉庫群を歩く。

古い倉庫の中は全てこじゃれた店になっていて、

興味を引かなかった。

 

だから、ゆっくり見学したかった幾つかの教会や、

情緒溢れる歴史的建造物をのんびりと見て回った。

 

お昼は突然カレーが食べたくなってレンガ倉庫の街に戻り、

何やら北海道では有名らしいハンバーガーショップへ入った。

派手な店だけれどアメリカ風の店内は妙に落ち着いた。

 

港の見える席でグラスビールを飲みながら、

ひとり食べるカレーはなぜかとても美味しかった。

さて、温泉にひとりで行った友達はどうしているだろうか、

良い経験になったらいいのだけれど。

空の太陽と海の太陽が眩しすぎて恐ろしかった運転

 

函館の旅④

標準時間の倍近くかかってゴロゴロとした火山岩恵山を下りた。
その途中、足元の赤い岩の間から熱い湯気が噴き出している箇所が幾つかあり、
活火山を歩いているのだなと実感。

 

車に乗せてあげたひとり旅の若い女性は、
山頂で私たちを長いこと待っていてくれた。
そして、スマフォで頂上標識と共に三人揃った記念写真を撮った後に先に下山した。

 

この山では家族で登っていた高校生が先に下山して登山口に戻っておらず、
何年も経っているのに未だに行方不明のままだ。
そのことは外国人の彼女には片言の英語で教えたけれど、
一緒に来た私の友人には下山するまで内緒にしていた。

 

写真を撮った後、若い彼女は私のメールアドレスをメモし、
宿に帰ったらWi-Fiで写真を送ってくれるという。
何という便利な時代になったのだろう。

 

季節は秋だけれど、この山はツツジが名物のようだ。
花の時期は広い駐車場がいっぱいになるのだろうか。
花も人気のようだが、ここは死者を呼ぶ恐山の役目もしているようだ。
遠く登山者に見えるのはどうやら衣装をまとった人形のようでもある。

 

若い彼女をレンタカーの後部座席に乗せて、
道の駅「なとわ・えさん」に寄り昆布などの土産を買い、
来た道を戻った。

 

ところが、時間が日の入りの時刻とぶつかったため、
空からの太陽とそれを反射する海原の太陽の二つの強烈な光が運転の邪魔をした。
眩しくて運転ができない。
眠そうになっていた友人に少しでも光を遮るように頼む。

 

その眩しさといったら道路の中央線すら見えず、
視界が真っ白くなる場面が何度も襲い続け、
私は函館に着くまでの約1時間半余り生きた心地がしなかった。

 

やっとの思いで駅に着き女性を下ろしてあげ、
明日は青森に行くという彼女に別れを告げた。
それからすぐ前にあるレンタカー屋で地元のスーパーの道を聞き、
夕食の買い出しをした。

 

こんな長い危険な運転は後にも先にも初めてだったので、
無事に帰ったのが嬉しかったけれど、
このことは北海道の忘れられない思い出になるだろう。

 

 

ホテルに戻ると、昨日に引き続き友人は温泉に浸かり、
私は買ってきたビールでくつろいだ。

 

 

旅人を拾い、恵山を一緒に歩く

 

函館の旅③
2目のこの日の目的はこの地の山に登ることだった。
前に無理なく日帰りハイキングが出来る山を探していたら、
恵山という噴煙を上げる活火山がとても興味を引いた。
 
ただそこに行くにはホテルから函館駅に列車で移動し、
始発のバスに乗り、4時の終バスに乗らなければならない。
50キロほどの距離なのに路線バスでは2時間もかかる。
恵山に行くのは日に二本ほどしかなく、
次のバスでは遅くなって不安すぎる。
 
そこで、思いついたのがレンタカーだった。
あまり知らない町を慣れない車で運転するのは好きではないが、
恵山を調べているうちに多少無理をしても行きたくなった。
 
予約をしておいた駅前のレンタカー屋で、
所定の手続きをした後、目的地をナビに設定してもらった。
軽自動車を頼んでいたからそれほど神経遣うことなく、
私が運転席に座った。
 
広い道道(県道?)を通り、何やら緑色の標識の高速道路のような道に入った。
インターがないので普通のバイパスなのか?
その後はナビの案内がほとんどなく、
すぐにあちこち曲がるアナウンスのある関東と違い、
間違っているのではないかと不安になった。
 
高速のような道を下り、田舎の道を走る。
家はところどころにあるけれど、人はひとりも見かけない。
トンネルを過ぎたあたりで、
たまたま停車して電話をしていた女性に無理やり尋ねる。
 
道の駅があったので聞いてみると間違いなく、
海岸べりから4キロの道を300メートルも上がって、
やっと目的の火口原口駐車場に着いた。
 
ここから山頂へは300mほどの高度差だ。
関東で言えば618mの標高は里山に入るけれど、
北海度は緯度が高いせいか雰囲気からすれば千メートル級の山に思える。
 
しかも、ここまでの道が長かった。
私の住む関東なら10キロも走ると次々と市が変わるけれど、
この地も住所は函館市というのだから驚いてしまう。
 
人の姿などここまでほとんどなかったのに、
途中でひとりの若い女性が歩いていて驚いた。
山ではリュックを担いで歩いている人に私は反射的に声をかけてしまう。
その人はどうやら外国人らしく、喜んで乗ってきた。
 
片言の日本語と英語で話を交わし、
彼女がシンガポールからやっきた旅人だと知った。
ここは海辺のバス停から上っていくと1時間以上かかる。
よくひとりでやってきたと私たちはひどく感心した。
 
とりわけ山旅の経験のない同行の友達は、
ただただ信じられないと驚いていた。
でも、私は一人旅の彼女の行動はそれほど奇矯には映らなかった。
山好きな人間は男であれ、女であれ、
老いも若くも地図に道があれば歩くし、そんな人をよく見かける。
 
当然、帰りもバス停まで歩く予定の彼女に、
山を終わっても車の前に待っていてくれたら、
帰りも函館まで乗せてあげると言った。
 
彼女はとても喜んでうなづいて、私たちと一緒に歩き出した。
目前には真っ青な空のもと、
茶褐色の山肌に荒々しい姿を見せる恵山が広がっている。
写真で見た通りの白い噴煙がもくもくと立ち上っているではないか
 
さあ、ここは岬の突端の山だ。
私の日常では出会うことのない三方を青い海に囲まれた山の風景。
期待で胸が膨らんだ。
 
 
 

旅は道連れ、世は情け

 

函館の旅②

新函館駅から函館までは既存の在来線に乗り継がなければならない。

事前に調べた情報では半時間もかからず便も多いので、

ホテルは新幹線の駅にしておいた。

ホテルは日替わりで選べるのだが毎日荷物を移動するのは不便だ。

 

通勤電車のような車内に乗り込むとボックス席があって、

空いていた席に乗り込んだ。

そこにはひとりの女性が座っていた。

 

私と友人は山に行くと必ず知らない人と話をするので、

その隣の女性にも親しく声をかけた。

その人は旅人の私たちに親切に函館について話してくれた。

 

私が歩いて函館山に行くと言うと、

その人もロープウェイは使ったことがないという。

そして、市内の用を済ませたら私たちの後を追ってくると言うのだ。

何て親切な人なのだろう。

 

経路は事前に調べていたけれど、

旅は道連れ、できるなら現地人?と一緒に過ごしたい。

その方が町を深く知ることができて忘れられない旅になるに決まっている。

 

彼女も同じような旅が好きらしくひどく話が合う。

私たちは仙台で買ったサンドイッチを食べながら、

市電乗り場までついて来た彼女と別れ、

登山口近くの電停に降りた。

 

広い通りの続くしゃれた家々の目立つ坂道を登り、

目指す「旧登山道コース」を探し、それらしい山に入る。

そこは運動靴でも登ることのできるような山道だった。

 

帰りが大雨になったという旭岳に行ってきたという山好きのオーストラリア人夫婦と、

時折片言の英語で話しながら、

雪虫の飛びかう木々の間を山頂へ向かう。

今年の紅葉はどうもぱっとせず、

枯れたまま落葉している木がほとんどだった。

 

眼下には独特な形で町が広がっている。

函館市は同じ夜景のきれいな坂の町の私の故郷とは全く異なる平野の町だ。

ここは夜にバスやロープウェイで人が押し寄せる場所らしいが、

昼間はモノ好きのハイカーがぽつぽつといるだけだった。

 

友達は夜景を見たいに違いないので、

いったん町に下ってからバスに乗って再び山頂へ行く案を思いついた。

電車の彼女から連絡が入ったので、

そのことを伝えると彼女も行くというので、

観光客の目立つ函館ハリスと正教会あたりで待ち合わせした。

 

バスはくねくねと高度を上げながら走り、

運転手が夜景が見えるポイントをいくつか紹介してくれた。

昼間と違ってもう何台ものバスが並び、別世界になっている。

 

 

彼女の説明によると、

最近はインバウンドとやらで観光客が増えて、

夜景を見る隙間もできないほどらしい。

この日は透き通った光の散りばまれた美しい夜景を鑑賞でき、

ちゃんと何枚も写真を撮ることもできた。

こんな日は珍しくどうやら私たちは幸運だったようだ。

 

帰りのバスには数珠つなぎで客が並んでいたが、

ぎゅうぎゅう詰めに押し込められたのでそれほど待たなくて済んだ。

ただし、満員の車内でバスに揺られ続けて、

久しぶりに車酔いをしてしまう。

 

案内してくれた彼女には申し訳なかったけれど、

夕食はコンビニで買うとして、食事に行くという彼女と別れた。

彼女は来月に上京するので、その時は連絡を取り合おうと約束した。