今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

スマフォの恐ろしい事実

友人から電話があった。

彼女とは今年の春あたりに会った時、ラインの友達申請をした仲だ。

かといって煩雑に連絡し合うという関係でもない。

彼女を仲間に入れたグループ会話をみんなでする程度で、

デジタルに弱い当人は返信することさえ滅多にない。

 

それなのに、突然、妙な電話をしてきたのだ。

彼女のスマフォから突然女の人の声がするという。

住所を喋ってアハハと大笑いしていると。

 

良く聞くと、どうやらその声は私の住む町を言っているとか。

それで電話をよこしたのだった。

スマフォを開くたびに聞こえるのだそうだ。

 

試しに彼女の家の電話口でスマフォを開いてもらったら、

いきなり実際に電話口に住所を言う私の声が飛び出し、衝撃を受けた。

気持ちが悪いというが、私の方がよほど気持ちが悪かった。

 

なぜ、私の声が彼女のスマフォから流れるのか。

彼女との会話の接点を思い出しても数年前の電話1度きりだった。

春に会った時、まさか彼女が私の会話を録音などするわけない。

 

まるで超常現象?

彼女にしてみれば私に呪われてるようなそんな気になっていただろう。

これは何か悪意に満ちた詐欺、もしくはウイルス?

いろいろ考えてしまい気分が悪い。

 

でも、一番考えられるのは、やはり、彼女が私の声を間違って録音し、

それがスマフォ設定の何らかの誤操作で突然鳴り始めたとしか考えられない。

数日後に窓口に相談に行くというので我慢して待つことにする。

まことにデジタルとは恐ろしい世界である。

 

 

音楽の趣味はそれぞれだけれど

 

友達に誘われてアマチュアのギター演奏会に行ってきた。
コロナの行動規制のせいで3年ぶりの発表会らしい。
今年は当時より桁違いの感染者数なのに、

不思議なことに規制は行われていない。

 

小さいがホールは立派で、

階段状になった客席はほとんど年配客で埋まっていた。
席を一つ空けて座るというこれまでの指示もない。

 

緞帳が上がると10人ほどの演奏者がギターを抱え舞台に座っていた。

団員は中高年以上のひとばかりでだった。
受付でもらった目次にはクラシックの小品から演歌まである。
私は演歌や流行歌などがあまり好きではない。

ラジオをつけていても耐えられなくてパッと消してしまうほどだ。

 

どちらかというとクラシックが好きで、家で聴くときもそればかり。
音楽にはジャンルが多く、世界中のものを含めると多岐にわたる。
好みは様々で、大体が共通することはないようだ。

 

洋楽が好きな人は日本の流行歌などは聴かないし、
友達にいい曲だからと聴くように強く勧められても、
それが嫌いなジャンルだとしたら耳を塞いでしまう。
嫌いな曲はただの騒音に感じられるばかりだ。

 

日本は明治維新の頃、西洋化を急ぎ、特に音楽教育に力を入れた。
それは子供たちや大人たちに、

全体主義的な効果を作りやすいからだということだったらしい。

キリスト教の讃美歌なども教義よりも雰囲気の力で魅了させる。

 

今日、楽団が奏でたのは様々な分野を網羅したそつないプログラムで、
私としてはあまり心に響くものはなかった。

音楽のめざすところが違いすぎたのだった。


とはいえ、満員に近い聴衆はとても感動したようで、
しきりにアンコールの拍手をしていた。
誘ってくれた友達も隣の席で手をたたき続け、

ずいぶんと満足しているように見えた。

 

音楽の趣味がピッタリなんて、なかなかないものだけれど、

数からいえば私は完全にマイナーなのだと思うのはこんな時である。

だから、帰りはベートーヴェンの第九を大き目にかけながら、

家路についた。

NHKプラスを入れてから

 

ほとんどテレビをつけない私だったけれど、

最近はNHKプラスというアプリを入れたために、

家事をしながら流すことが多くなった。

これはNHKのウエブサービスで一週間は番組を見ることができる。

もちろん視聴料を払っていないと利用できないが。

 

テレビはどんな良い番組があろうと家事に追われ、

リアルタイムでまともに見ることはできないから、

ニュースや気になる番組があるとビデオで収録していた。

けれど、これもすぐにいっぱいになってしまって困っていた。

 

そんな意味では動画サービスのYouTubeのように、

空いた時間に好きなものを見ることができるのはとても便利だ。

それが魅力でキッチンにぶら下げているタブレットからは、

NHKの番組が流れることが多くなった。

 

そもそもテレビを見なくなったのは、

民放を真似てかやたらワイワイと騒がしくなったからだった。

言葉使いも正しい日本語を使い丁寧だったのに、

今やニュースキャスターすらおかしな日本語を使う時がある。

 

それでも地上波だけで月に1000円以上払う有料放送であり、

契約終了もできない公共放送のため、

力を入れたドキュメンタリー番組などもたまにはある。

 

このプラス放送にはカレンダーがあって、

一週間遡って見ることができるから便利だ。

しかも全国の地域ニュースも選ぶことができる。

これこそお金を払った甲斐があるというもの。

 

まだ直前の視聴番組に戻るボタンがなかったり、

使い辛いことが多々あるけれど、

今のところYouTubeを見ることが少なくなったので重宝している。

 

 

衣替えに思う捨てることの困難さ

 

まだ朝晩以外は汗をかくほどなので、

夏と冬の服の入れ替えが終わっていない。

以前は衣替えの日があって確か10月1日からだった。

そのため一気に済ませたものだけれど、近頃はそんなことはない。

二階の部屋には衣装ケースが所狭しと置かれたままだ。

 

そもそも夏が長くなったために、この時期人は様々な服を着ている。

電車に乗ると面白く、つい乗客の服装を眺めてしまうほどだ。

厚い上着を着こんだ人や早くもブーツを履いた人、

中にはノースリーブのままの人もいたりする。

 

そんなふうだから、我が家の衣替えも立冬を過ぎてしまう。

もう以前の季節は戻って来ないのではないか。

お米もかつての名産地より北の国の方が美味しくなったというし、

認めたくはないけれどパラダイムが変わってしまったのだと思う。

 

それにしても箪笥から出した服の何と多いこと。

山のテント泊では衣食住のすべてを運べるというのに。

シンプルに暮らすにはどうしたら良いものか。

 

40度も超すような熱帯の日々に着るものは限られるので、

着やすいもの、涼しいものばかり着てしまう。

洗濯すればすぐに乾くし、

外出の際のものとシャツ数枚、短パンがあれば事足りる。

 

だから、多くの服を衣装ケースに戻さなければならない。

この時、思い切ってそれらを捨てることができたらどんなに良いか。

でも、何のほころびも汚れもない形ある服を、

簡単にゴミ袋に入れることは難しい。

 

それら一つとってみても、

貧しい国の女の人がミシンに向かい続けて縫われたものだ。

そこまで想像するともう捨てられなくなる。

 

悩んだ挙句、再び衣装ケースにとりあえず仕舞う。

このとりあえずが厄介で永遠に繰り返しそうだ。

どうしたら良いのだろう。

 

 

 

手作りにはメモを忘れないこと

 

anzufig.hatenablog.com

 

公園を散歩した時に拾い集めた熟した渋柿。

それを柿栖にしようと潰して瓶に入れた。

上の方にカビが出るので時々見ては取り除く。

それを2、3年ほど放っておけば柿の水分が酢になる。

遠くに住む友人が教えてくれたものだ。

 

自分のブログに去年の柿酢作りのことが書いてあったので、

読み直してみてとても驚いた。

記憶というものは実に不確かだ。

つい先日、床下を掃除していたら甕が出てきたので、

一体何を入れていたのだろうかと恐る恐る蓋を開けたのだった。

 

すると、上面に真っ白くカビが覆っていて不快な匂いがした。

びっくりした私はそれが何だか確かめもせずに、

すぐにポリ袋に入れて心痛めながらも可燃ごみにしてしまった。

 

ところが、何とそれは去年の柿酢作りのものだったのだ。

旅先の友人宅の庭でもぎ取った貴重な柿で作ったものだった。

なぜメモをしなかったのか悔やまれる。

 

 

今年は苦労して作ったヘチマ水さえボトルにラベルを貼らなかったせいで、

残り水だと思って捨ててしまったのだ。

最近はこうした失敗が多く、

自分の記憶力のはがいなさを感じることが多い。

 

今度からちゃんとメモを忘れないようにしよう。

今年は甕ではなく瓶で作っている。

早速ラベルを貼らなければと反省しきりである。

 

道の駅に5つも立ち寄った紅葉狩り

 

友人二人と紅葉狩りに行ってきた。
今年も晩秋になってもずっと気温が高い日が続くので、
どこもあまりきれいな錦繡ではない。

 

思えば最近は毎年のようにそんなふうで、
マスコミが名所を紹介してもかつての美しさにはほど遠い。
それでも、紅葉を見たいのが私のような凡人の思いである。
季節の区切りをこの目で確かめたいのだ。

 

先月末に出かけた会津西街道の沿線はほとんど色づいていなくて、
標高の高い山に登っていくらか満足して帰ってきた。
でも、以前遭遇したような息を吞むほどの紅葉を見たかった。

 

今回はそれから10日は経過し紅葉でとても有名な吾妻川沿いを走ったので、
あちこちにカエデの緋色も目立って色づき具合は良く、
おそらく今季のピークだったのだと思う。
散歩程度に歩いた里山の色づきは標高が高いだけあって、
歓声を上げるほどだった。

 

週末なのに車はそれほど多くなかったが、休憩した道の駅は混んでいた。
都会に住む二人は移動はいつも電車利用なので、
車が相手の道の駅に立ち寄ることは滅多にない。

 

そこで今回は道の駅があったら必ず寄ることにした。
これが面白いことに何と5つもの道の駅があって、
紅葉見物というより道の駅巡りになった。

 

道の駅は8月現在で全国に1198もあり、国土交通省の管轄だ。
私が前に買った2017年のガイド本では1079だったから、
この5年の間に110ほど増えている。

 

道の駅には地元の採れたて野菜や名産品、
お弁当など数多くの品が並んでいて楽しい。
トイレも24時間利用できるし仮眠にも最適だ。

 

車で移動しない彼らは寄るたびに「安い、安い!」と感嘆して、
何か手頃なおやつなどを買ってきた。
その様子を見ていると、国の行政というものについて考えさせられた。
これは車を持つ人の税金で成り立っているのだろうか。

 

高速料金の割引や道の駅の利便さなど、
都会に住む彼女たちには何の恩恵もないのだ。
税金は様々な立場の人々におしなべて平等に分配されない。

また今まであった地元の小店や露店は道の駅に吸収されたのだろうか。

 

何も疑問を持たず利用してきたけれど、ちょっと気になってしまった。

完全シャットダウンという初めての体験

キーボードが全く反応しなかった10インチのパソコン。

普通に使っていたのだからこちらの非ではなく、製品の欠陥だろう。

安物とはいえ1年の保証期間中で、直してくれるかもしれない。

 

そこで、メーカーのサポートページを探してみた。

これが以前のように簡単に見つからず、とても厄介だった。

まるで消費者からの問い合わせを嫌がっているようにしか思えない。

 

やっとこサポートページにたどり着いても、

まずは「よくある質問」を参照するように誘導され、

それでも解決できない場合、電話となる。

 

電話しても自動音声で「1時間は待ちます」ということだった。

そんな暇はないのでページを隅々まで見て、

ラインでの連絡方法を見つけ出した。

 

早速メーカーとラインの友達申請をし、

機種や購入日を記しキーボードが反応しないことを書いて送信した。

返事は遅くなるということだったが、

5分ほどしてトークが返って来たので驚いた。

 

「ご迷惑をおかけしてます」という文言から始まり、

丁寧過ぎるほどの長い文で、

人工頭脳ではなく人間が記しているようにしか思えない。

もしやメーカーと契約したフリーの顧客相談人なのか。

 

とりあえずシャットダウンをする時に、

「完全シャットダウンを試みて下さい」とあった。

そのやり方のウエブページのリンクも貼ってある。

 

そっそくリンクページを開きながら、

完全シャットダウンというものをやってみた。

shiftキーを押しながら再起動し、その後、電源を切る。

それが完全シャットダウンのやり方だ。

 

パソコンを普通に切ると、

それまでの情報が維持されるようになっているという。

完全シャットダウンということは、

それを維持せずまっさらな状態にして消すやり方だということだった。

さっぱり分からない。

コンピュータを作る側の人たちの頭脳の凄いことに驚くしかない。

 

その後、期待しながらキーボードを試してみたが、

残念ながら同じ結果だった。

そこで、ラインで結果を伝えると、

キーボードの断線が考えられるから、

すぐに新しいものを送りますとあった。

 

そのやり取りがあった3日後、新しいキーボードが届いた。

その手際の良さにとても驚いている。