今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

友達が作ってくれた大きなおむすび

 

先日、友人を誘って小さな山に出かけた。

その山はわが家から20キロほどのところにあって、

小粒ながらアップダウンの山で景色も素晴らしい。

 

初めての彼女をセオリー通りに急な坂を上り、

一番高い300メートルほどの頂きを目指した。

反対のコースもあるけれど、この方が視界が開けて楽しみが多い。

 

歩き始めたのがお昼前ととても遅かったので、

最初のピークでランチタイムになった。

穏やかな太陽のもと、遠くに見える雪の山が青空に映えている。

 

倒木に腰掛け、ランチを広げる。

というより、彼女が作ってきてくれたおむすびを置くだけ。

私は彼女のおむすびを頂くのは初めてだったので、その大きさに驚いた。

手で握るには目いっぱい大きなおむすびだった。

 

私が作るおむすびはその半分ほどだ。

彼女はそれが子供の頃からのおむすびの大きさだと言う。

考えてみるとおむすびとは代々継承されていくものだ。

 

何でもそうだけれど、特に食べ物は子供の頃のものが一番しっくりいく。

彼女が不安そうに、「美味しいかな、大丈夫かな」と、

私の顔を覗き込んだ。

 

大きなおむすびの中身はいり卵の味付けたものだった。

少しごま油の味のする卵だった。

これを彼女の子供たちは喜んで食べるので、

いつか私にも味わってもらいたかったと言う。

 

「とても、美味しい」と言うと、彼女はホッとした顔になった。

人が掌で一生懸命握ってくれたおむすびが美味しくないことがあろうか。

おむすびには心が込められている。

 

それは、決してコンビニでは味わうことのない優しさという心の味だ。

 

電気的存在の人間

 

電力を消費する文明批判を度々する私だけれど、
キラキラと光るイルミネーションの魅力には負けてしまう。
夜景のきれいな坂の町で子供時代を過ごしたせいなのか、
とにかく光の共演が好きなのだ。

 

最近は日課のように夜明け前の朝に町を歩くので、
家々のガレージが赤や黄色の電飾で光っていたり、
生け垣を電飾で張り巡らせたりしている民家も所々にあって、
それを見ると嬉しくて寒さも吹き飛んでしまう。


今朝は今までに気づかなかった三角に光る点滅を見て首をかしげた。
近づいて見るとよく目にする車の停止標識で、
なぜ今まで気づかなかったのか、
あらためて見ると真っ暗な中とても目立っていた。
あれには電線がついているのだろうか。
田んぼの中の道だからちよっと不思議だ。

きっともっと夜には色々光る標識があるのかもしれない。

 

 

そんなことを思いながら歩いていると、
東の空が明るくなり始めている。

何て美しいのだろうと立ち止まって振り返る。
本物の光もこうして人の心を強く打つけれど、
文明の力を借りた光も人の心を奪ってしまう。

 

 

電気とは私にとっては力より何より光を意味する。
人間はどうやら電気的な存在で、
電気なしでは最早生きていくことはできないことに気づく。

 

この黎明の光と共に朝を迎えた古の人に、

今の世界を見せたら気絶するほど驚くだろう。

 

anzufig.hatenablog.com

 

 

 

 

 

菜食の友達はタルトが好きだった

 

わが家に泊まりに来た友人がタルトをお土産に持ってきた。

それは駅の構内でよく見かけるケーキ屋さんのものだった。

この日はちょうどその友達の誕生日で、自ら買って持参したのだ。

 

誕生日だと知っていたら私が作って祝ってあげたのだけれど、

彼女は人の手を煩わせるのが嫌でそのことも私に教えていなかった。

それに、来る時はいつも何かしら買って持ってくる。

 

午後は二人で予定があり、そのためお昼前に来たので、

買ってきたパンを食べようとした彼女に無理やり頼み込んで、

あご出しで煮たおうどんを作って食べてもらった。

 

菜食主義の彼女は肉類は一切受け付けない。

お魚なら良いかとタンパク質はじゃこ天にしたが、

どうやらそれも普段はあまり口にしないらしい。

 

それから二人で出かけて、夜の7時頃にわが家へ着いた。

夕食はおかゆに大根の煮物だけ。

お肉を使えないからメニューが頭に浮かばなかった。

もちろんお酒も飲まないから、

ちよっと淋しいけれど私だけがビールを飲んだ。

 

ご飯の後でタルトを4つに切って誕生日を祝う。

このタルト、果物がたくさん乗っていてなかなか美味しい。

前にも一度食べたことがあり、変わらず安定した味だ。

 

 

菜食主義の彼女はこうしたタルトが大好きみたいで、

ニコニコと美味しそうに食べていた。

彼女が甘い食べ物も口にしないとしたら、

本当に味気ない人生だと思うので何となくホッとした私だった。

(写真下は以前食べた同じ店のタルト)

 

雪の日は運転しないに限る

 

2月5日に関東地方に雪が降った。

テレビではお昼から「大雪、大雪」と大騒ぎしていて、

ちよっと心配だったけれ予報はど当たらないことも多い。

 

午前の用を済ますと、空模様を見ながら友人との待ち合わせ場所に走った。

この日はランチの約束があったのだった。

出発したお昼前は雨交じりの霙(みぞれ)が降っていて、

弱いワイパーをかけながら普通に走ることができた。

 

友人と落ちあい、彼女のお勧めのおうどん屋さんに入ると、

店はお客でいっぱいだった。

その時はまだ休耕田がうっすらと白くなっている程度で、

食後はお喋りをしにカフェに行こうと思っていた。

 

 

ところが、30分ほど経ったか経たないか、

大盛りのランチを食べ終わり外を見ると、

先が見えないほど大粒の雪が激しく降っているではないか。

 

外に出ると地面がぬかるんでいて靴がずぽっと沈む有様で、

驚いた私たちは慌ててこの日のカフェタイムは取りやめた。

友人の家まで30分はかかるし、わが家はもう少し近かったけれど、

雪の勢いの凄さに怖気づくほどだった。

 

この冬は毎年替えていた冬用タイヤをやっていない。

友人に至っては何年も摩耗した冬タイヤを履き続けている。

何しろほとんど関東には雪がなかったからだ。

そんな時に限ってこの雪である。

 

ゆっくりと慎重に車を走らせる。

行きかうトラックもいつでも止まることのできる徐行運転で慎重だ。

殆どが夏タイヤのままなのかもしれない。

 

30分ほど経ってわが家近くの裏道に入ったら、

もう道は真っ白になっていて慎重に黒い轍を走り自宅に着いた。

友人も同じ状況だったようだ。

 

スタッドレスをしたところで雪の道はとにかく危険なのだ。

信号手前でゆっくり踏んだブレーキで車体が90度回転した経験のある私は、

雪にはとても神経質になる。

 

事故が起きたら人生が狂う。

だから、雪の日は運転しないに限る。

それにしても天気予報通りの時間に雪が積もり始め、

随分とデータ分析が進歩したなあと感心した。

 

anzufig.hatenablog.com

 

 

 

美味しくなかった量産ショートケーキ

 

先日、友達からショートケーキをご馳走になった。

それはスーパーに並んでいるとある大パンメーカーのもので、

プラスチックの容器に二つ入っているものだ。

値段は二つで300円ほどのようだ。

 

スポンジの切れ目などの見た目は、

ケーキ屋さんのものと変わらないけれど、

上に乗せてあるのはイチゴの色をしたソースみたいなもので、

私にはとても美味しそうには見えなかった。

 

でも、その場で食べるように差し出されたので、

一緒に皆で開けて食べることになった。

すると、スポンジを口にした一口で、

私の舌がその触感や味を受け付けなかった。

 

スポンジがどうしたらこんなにフアフアになるのかと、

信じがたいほどだった。

もちろん飾りの生クリームはクリームの味さえしない。

トッピングのイチゴソースは苺の香りだけがした。

 

頂いた手前、残さず食べたけれど、

普通なら「美味しかった、ごちそうさま」と言うところが、

どうしても「美味しかった」という言葉が出ず、居心地が悪かった。

人からご馳走されたのに失礼すぎる態度だった。

でも、私は嘘が言えない。

 

もうひとりの友人はペロリと食べた後に、

「美味しかった」と、言っていた。

本当にそうだったのか。

これを売っている大パンメーカーの開発者は、

どんな舌の持ち主だろうと私は疑問だ。

 

こういう商品もリピーターがいなかったら、

その原因が味の悪さにあると思うだろうから、

いつもあるということは、きっと定数売れているのだろう。

 

それとも、あれは友達が言ったように、

本当に美味しかったのだろうか。

とすると、私の舌がおかしいのか、思い上がりなのか?

(写真 見た目は悪いけど味の良い手作りケーキ)

 

 

anzufig.hatenablog.com

 

 

 

おみくじやお札は買わないのに

 

子供の頃、節分の日は必ず豆まきをした。

父親の掛け声とともに家中に豆が散らばって、

それを拾って食べるのはとても楽しかった。

今でも畳に落ちた大豆の様子が脳裏に浮かぶ楽しい思い出だ。

 

年を取ってからはいつの頃か豆まきをしなくなり、

今では節分の日をニュースで耳にするという程度になった。

私の暮らしもこうして味気ないものになっている。

 

でも、今年は初詣に行った神社で、

紙に印刷された魔除け?のお札みたいなものを買ったせいで、

節分の日が気になっていた。

 

というのも、そのお札を説明した巫女さんに、

みそかの日と節分の日に東北東に向けて置くようにと言われたからだ。

この日は元旦で大みそかは過ぎていたから、

次の節分の日を忘れないようにして、どこかにしまっておいた。

 

節分というと恵方巻が近年盛んにコンビニなどでも売っている。

それを決まった方向を向いて食べると、

今年も健康で過ごすことができるという関西辺りの習慣だ。

今年の福は東北東にあるらしい。

 

紙も仏も信じないというのに、やはり生粋の日本人なのか、

こういうものを一旦買ってしまうとつい縁起を担ぐことになる。

この日を逃したらご利益の効き目がないようなそんな気がするのである。

 

そこで、しまっておいたお札を出そうとしたのに、

どこに置いたか皆目分からなくなった。

この日を逃してはならじと真剣に引き出しを漁ったり、

本棚を探したりした。

 

朝からずっと探したのに、見つからず、

夕方近くになって鏡の陰に挟まっていたそれに気づいた。

すぐに東北東に向けて立て、ホッとしたのだった。

この間の自分の心理が面白かった。

 

あんなもの、おみくじと同じく神社の金儲けの一環に過ぎないと、

いつも豪語しているのに。

探せ出せない時の心理は、

ちよっとした強迫観念のに囚われたような感じだった。

 

そうなんだ、神社仏閣の厄除けやお守り等など、

こんな人間の心理に乗っかって有史?依頼、連綿と続いているのだろう。

信心深くないこの自分が時期を逸するからと焦るなんて。

 

だから、これまでのように、

私の場合、縁起物やおみくじ等は買わないことが一番だ。

ただし、お賽銭はどんな場所でも必ず入れる。

なぜなら神社仏閣はほとんどが自由に散策できるからだ。

そのお礼は必要だ。

 

anzufig.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

イチゴ農園を覗いて思う

 

近くに住む友達と水辺公園まで一緒に散歩するようになった。

以前は滅多に自宅から歩いていくことはなかったのに、

こうして人と約束したため週に一度の散歩が続いている。

しかも、車で行くよりも大分万歩計が増えるから嬉しい。

 

今日は彼女がイチゴを買いたいと言うので、

散歩の途中にあるイチゴ農園に寄った。

そこはイチゴのビニールハウスが何棟も並んでいて、

盛んにイチゴ狩りも行われている農園だ。

 

私はこうした食べ放題の○○狩りというものが苦手で、

ハウスの中のお店に入ったのはたったの2度目だ。

一度目はイチゴ狩りの大好きな友達に誘われて、

イチゴを1パック買って帰っただけ。

 

入場料大人3500円、子供3000円と書いてあった。

それだけ払って私が食べることができるのは、せいぜい3個ほどだろう。

実は果物は好みではないのだ。

というより真冬や真夏に重油を消費する野菜栽培が苦手なのだ。

 

友達はケーキのトッピングに大きいイチゴが必要だった。

家族の誕生日のためらしい。

農園の方がスーパーのものより新鮮だからという。

彼女は大きくて真っ赤なイチゴの入ったパックを買った。

 

最近のイチゴはなぜあんなに大粒なのだろう。

わが家の庭になるイチゴはとても小粒で、

しかも新しい苗も足さずほったらかしゆえ年々小さくなっている。

でも、その分、味は原種に近くなっているようだ。

 

そういえばスペインの市場に山盛りになっていたイチゴ、

あれはアボカドほどの大きさで驚いた。

今のスーパーのイチゴもそんな風にしたいのか段々大きくなっている。

人の欲望は切りがない、

そのためあくなき品種改良が行われているのだろう。

 

anzufig.hatenablog.com

 

 

今日のおやつは冷凍していたショートケーキ。

わが家のそれにはシーズン以外にイチゴは登場しない。

畑のキウイとスーパーのバナナを飾りにした。