友達を連れて隣県の山を案内した時こと、
その山には入り口には何やら小さな祠があって、
山道を進んで行くと、「女人禁制」と彫られた大きな石塔が立っていた。
ここが女人禁制の山だったことは以前から知っていたけれど、
友達に質問されたのでちょっと気になった。
あらためて調べたことはなかったから、
だから、年末の電車旅に神様の民族誌について書かれた古い新書を持っていった。
この本はただ本棚に積ん読だけのものだったけれど、
今回は友達に説明できるようにまじめに読んでみた。
理解しやすい文章のため3時間ほどの車中で女人禁制のところまで読み進む。
女人禁制に至るまでの歴史は、
出産にまつわるウブ神の存在から始まっているようだ。
近年まで日本の各地では出産はウブ小屋で行われ、
そこでしばらく赤子と母親は暮らさなければならなかった。
現在のように病院で産むわけではないので、
水道も火もない小屋で母親と産婆?はかなり苦労しただろう。
そして、何より出産に伴う大量の出血を、
子供の生ませ親であり、
大いなる誕生の当事者である男性が忌み嫌ったのだ。
血というものから連想されるのは確かに恐く、
縁起の悪いことばかりだ。
そのせいでだんだんと出産の血も、
死を恐れる人間にとって「穢れ」に感じたのだろう。
獣を殺して食べていた大昔と違い、
農耕が盛んになり四つ足食がタブーとなり、
そのムラ社会が強く定着してくると、
様々な儀礼から女が締め出されていく。
大事なことを話し合うムラの寄り合いや祭りなどがそうである。
祭りの席ではお酒かあり、食べ物や配膳が必要になる。
裏方に女がいなかったら立ちどころに会が成立しないのだ。
女が外に出てしまうと家事が滞る。
つまり、女の役割は男たちの都合で決められたのだった。
そして、彼らの足を引っ張る悪の存在として、
信心の世界においても女は追い出されていく。
いつの間にか「山の神」の性別は女という位置づけになって、
女が山に入ると山の神が怒るという意味不明な迷信に至った。
もちろんウブ小屋の産後の暮らしも入山禁止のことも、
違った意味ではか弱い女性を無理な労働から守るためという理由もあるけれど、
女の立場から考えると、それは後付けのような気がする。
現在では生理の話も不浄なことではなく、
テレビなどでも男性アナウンサーがごく普通に話すようになって驚くことが多い。
災害時には生理用品が配慮されたり、
学校にはそれなりのケアもあるようだ。
驚く私がすでに古い人間なのだ。
女は世界の半分いて、
連綿と新しい人間をこの世界に産み出している。
だから、女は戦や殺戮を最も嫌う。
その存在が「穢れ」だと言われた時代を過ごしてきた女性たち。
とても悔しい思いをしていたに違いない。
そんな時代に生まれなくて良かったとつくづく思っている。