極太なのにふあふあした不思議な伊勢うどんを食べた後、
順番通りに外宮の鳥居をくぐった。
ここは豊受大神(とようけのおおみかみ)を祀っていて、
天照大神の食事を用意する宮だそうだ。
よってすべての産業の神らしい。
何とその食事の儀式は1400年、途絶えたことがないという。
遷宮の建て替えも応仁の乱の時代を除いては滞りなく続けられてきた。
今ある祠は隣の敷地に10年後には新しく立て直される。
それが幾つもあるのだから、その財力に感心してしまう。
古い材木は各地の神社で再利用されると言うが、
新しい材木はどこで調達するのだろう。
神宮を取り囲む森の木は見たところ何百年物が林立している。
この森の奥地から切り出されるのだろうか?
コロナの今、日本中の祭りが中止になったけれど、
ここは全く別の世界が広がっているように感じる。
たとえ宮の中で流行り病が起こったとしても、
天照大神への食事の儀式はとり行われることだろう。
建物は神明作りと言われ、とてもシンプルだった。
参拝者は玉砂利の敷き詰められた道を進み、
鳥居に一礼し、拝殿に向かって2礼2拍し、
生きていることに感謝する。
どうやらここは願い事はしてはならず、
神に感謝するだけだということだ。
参拝客を観察していると人々の全てが、
私を含めて天照大神を特別な神様みたいに感じているように見える。
これは一体何だろう?
恵みの多い太陽の神様だからか?
古事記もまともに読んだことのない私たちがなぜ?
外宮を回りながら八百万神について考えてしまった。
勉強しなければ。