近くの友人と水辺公園を散歩してきた。
いつもは思い立った時にひとりで行く私だけれど、
その人が家から公園まで歩いたことがなかったので、
ランチを用意して一緒に歩いてきたのだった。
12月に入っているというのに、気温は高いままで、
少し歩いただけで汗がほとばしった。
友人はそれを見越して下着の上に長袖の綿のシャツだけだったが、
私は冬の登山用シャツを重ね着してダウンまで着込んでいた。
もちろん手袋もしていた。
早朝は寒かったからだ。
でも、水辺公園に着く頃には私も1枚1枚脱いで、
シャツだけになっていた。
もちろんランニング男性は半袖で走っている。
温暖化がますます進んでいることをこうして歩くと身に染みて感じる。
わが家の庭のイチゴにも花季を勘違いした白い花が3つほど咲いている。
イチゴが狂い咲きするのは今まであまりなかったことだ。
白いツツジは10月末辺りから1輪ずつ開き続けている。
これは近年毎年のことだから驚かない。
だから、「狂い咲き」という言葉はもうふさわしくない。
春に咲く花は初冬にも咲くようになったのだ。
こうしてパラダイムが変化したのを、
そろそろ人間たちは認めなくてはならない。
昔は冬の季節になると気温は少しずつ下がって、
人々は段々とそれに慣れていき、暮らしを整えてきた。
二十四節季七十二候の言葉が示すように、
季節の違いはとても小刻みに、かつ繊細にあった。
二十四節季では今は本格的に雪が降り出す大雪に入り、
七十二候では「閉塞成冬」で天と地が寒がって冬となる時期だ。
ところが、現在は昨日と今日、
或いは午前と午後で極端に違うのである。
晴れと大雨のギャップも大きく、
一体全体私たちの季節感はどうなるのだろう。
とても心配になる。
(写真 東屋で簡単なランチ)