時々一緒に近くの公園を散歩する女性を、
私の通う趣味クラブの音楽会に誘った。
それは年に一度の演奏会で日ごろの練習を発表するものだ。
その彼女は生い立ちが考えも及ばないほど凄絶で、
大人になってからもさんざん苦労をし、
親となった現在でも苦労をしている人だった。
そのため彼女の話では、
生活以外のものに触れる余裕はなかったということだった。
勉強の場もなかったその人だけど、
苦労したせいか他者への配慮が人一倍あり、
心持はとても優しく感じられた。
私の誘いにひどく喜んでくれた。
人間社会は不平等なもので、
子供は国や家や、ましてや親を選ぶことなく生まれてくる。
豊かな家に生まれた者は豊かに暮らし、
貧しい家に生まれた者は貧しく暮らさなければならない。
少なくとも成長するまでは環境に大きく左右される。
最初に出会った時から彼女は赤の他人の私に、
無防備と思えるほど、
自分のこれまでの苦労と現在の苦悩をさらけ出した。
私が話を聞いてくれる人に思えたからと言ったが、
多くの人はその時点で彼女の前から消えていっただろう。
他人との付き合いに時には策略があることなどつゆも知らず、
だまされ続けて生きてきた人で、要するに生き方が下手なのだ。
そんな彼女が音楽会に来てくれ、
帰り際に私に手渡ししたのは、一輪のカーネーションだった。
豪華な花束に決して見劣りしない、
いや、それどころか何よりも心のこもったお祝いに思え、
私は嬉しかった。
その凛とした一輪の花の高貴さ、
それ以上語る言葉はなかった。
その一輪をもって彼女は自分の境遇を既に乗り越えているのだ。
私が最初に彼女の前から消えることがなかったのは、
彼女の中にその一輪を見ていたのかもしれない。
後日、彼女は「花選びに悩みに悩んだ」と私に打ち明けた。
多分彼女にとってそれが精いっぱいの気持ちだったのだろう。
このことは一生忘れない出来事になった。