先日、野生のサルを見た。
場所は裏手に森の始まる丘陵地の住宅街の中の空き地で、
駅からわずか15分足らずのところだ。
そこにはミカンの木が植えられていて、
黄色い実がいくつかついている。
そのミカンを食べにやって来たのだ。
サルは4匹ほどで、遅れてやってきたもう一匹には、
小さな赤ん坊がお尻につかまっていた。
どうやらここのところ毎日のように出没しているらしい。
彼らはヒトの住む場所までやって来て、必死に餌を探している。
考えてみると、ヒトは一日に3回も食事をする。
宮沢賢治の「雨にも負けず」の質素な食事は、
1日に玄米3合だった。
サルがその半分の量だとしても、
山中で彼ら家族が生き抜くのは難しい。
母猿は赤ん坊のおっぱいの分も食べなければならない。
実はサルがとても苦手な私だけれど、
以前はこうした野生動物に偶然出会うと、
自分が大自然に近づいた気になってとても心が浮き立った。
カメラを構えると必ず逃げられたけれど。
でも、今はいろんな場所にサルどころか、
大型哺乳類のクマさえもが出没している。
イノシシに至ってはいつもの散歩道にも相当数の足跡がある。
ニュースによると、クマは街中の店や倉庫や住宅に入り込んだり、
車道を堂々と渡ったりしている。
いきなり畑やあぜ道で会った人は被害も受けている。
おかげで山を歩くときは、
そこにクマ情報がないか調べることが普通になった。
行政もクマを見かけたら連絡するようにと呼び掛けている。
その情報でクマの出没地図が作られ、注意が喚起されている。
どうしてこんなにも野生動物が山を飛び出し、
ヒトの世界までやって来るようになったのだろう。
狂った気候のせいでかれらの食糧が不足しているのか。
そのため里に下りて知ってしまった里の食べ物に魅了されたのか。
クルミやクリやドングリを割って食べるのは至難の技だ。
苦労してそうしたものを探して食べるより、
多少危険はあっても畑の作物や町中のゴミステーションから取った方が楽だ。
野生動物だって楽な方が良いだろう。
ヒトも楽につながる便利さを求め、
有史以来様々なツールを作って来た。
特に食糧生産のための工夫は日進月歩の勢いだった。
野生動物は物は作らないけれど、
楽を求める気持ち?は同じなのかもしれない。
そう思うと苦手なサルだけれどとても気の毒になった。