長い間、使っていた卓上時計が止まっていた。
頑丈なガラス製の置時計で、重さは1キロ近くある。
裏を見ると2004年製と書かれている。
16年の記憶を刻んできたということだ。
時計の仕組みなど単純なのだろうから、
電池のせいかなと思い、何度か新しいものに取り換えてみた。
けれど、秒針が少し動いてもしばらくすると止まってしまう。
長いこと部屋を飾って豊かに時を刻んでくれたけれど、
動かない時計を置いておくわけにもいかないので、新しく買うことにした。
でも、いや、待てよ、脱衣所にある時計はどうか。
あまり見ないし、たまに電池を替えるときだけ確認している時計だ。
それは裏のメモによると、2003年9月に買ったもので、
何もかもペラペラのプラスチック製である。
17年も時を刻んできたけれど時の深い重さとは縁がなさそうだ。
これは、百円ショップが嫌いだった私が、その余りの安さに驚いて、
思わず買ってしまったものだった。
メモをしたのは耐久性が気になったからだと思う。
ガラス製の前者は今は店はなくなったけれど、
町の時計屋さんで買ったもので、値段は覚えていないが高かったはずだ。
その店は時計のベルトを売っていたり、修理もやっていた。
この二つ、もちろん時計は時計だけれど用途が違う。
前者はインテリアの飾り物的な要素がある。
でも、時計本来の役割としては、
何の豊かさも与えてくれない後者の勝利といえる。
なぜなら2年に一度ほどの電池交換で狂いもなく、
カチカチと大きな音を立てて時を刻み続けている。
恐るべし百円ショップではないか。
でも、昔だったら町の時計屋さんに修理してもらい、
これもずっと使えたはずだった。
そして、その装飾性が記憶をつかんで離さないことだろう。
グッバイ、マイメモリー。