今年の2月頃から新型コロナの感染は日本でも深刻になり、
危機を回避する心構えを言葉で喚起しようとしてか、
この国を預かる施政者達や有識者達は妙な言葉を多く使ってきた。
たとえば、「この連休が正念場」とか「今は崖っぷち」、
「勝負の時」など、次々と頭に浮かんでくる。
人生に崖っぷちや正念場などはそう多くはなく、
何かを変える、或は何かが変わる、もしくは何かの勝負の時、
そんな大きな節目の時に限られる。
ところが、そういった最上級的な表現が、
毎日のように繰り返されているものだから、
受け取る側は「一体何が正念場?」と問いたくなる。
こちらは感染しないように精いっぱい工夫して暮らしているのだ。
だから、あまりにも意味不明で言葉に重みがない。
言葉に重みがないということは、言葉に力がなくなるということを意味する。
言葉は伝達手段で、人々は言葉によって統治されてきた。
その言葉に意味がなくなることは、とても悲しいことなのに。
崖っぷちに立たされた私たちは、
いつまで踏ん張り続けなければならないのだろうか。
ウイルスは決してこの世から消えるわけはないのに。
その内「絶体絶命」という言葉がテレビの奥から聞こえてきそうだ。
その時は選ばれた者たちがノアの箱舟にでも乗るのだろうか。