クリスマスを大袈裟に祝わなくなってしまったけれど、
やはり、特別な日という感じがする。
仏教徒の日本人なのに不思議なことだが、
幼い時からこの日だけは親に連れられてミサに並び、
家に帰っては聖夜を祝ってきたからだと思う。
樅の木に似た針葉樹の木の枝をどこかの庭から失敬し、
それを植木鉢に立てて一日がかりでクリスマスツリーを作った。
ケーキは親が必ず店に予約してくれていたけれど、
スポンジもクリームも今いち不味かったように覚えている。
そして、クリスマスにはサンタさんがやってきて、
朝起きると靴下の中にプレゼントが入っていた。
決して豊かではなかったけれど、
プレゼントはその時とても欲しかったもので、
私はいつも大きなものが入るように、
長い大人の靴下を枕元に用意したものだった。
クリスマスの思い出は子供たちが主役の楽しい思い出だった。
でも、モノが溢れ、捨てるのにも困るようになって、
世間のクリスマスは商戦第一になり、
オリンピックと同じように利益追求の絶好の機会となっている。
私がクリスマスを祝わなくなったのはそんな理由もある。
でも、何だか味気なくて急いでケーキを作った。
生クリームを雪のように塗り立てて金色の飾りをつけた。
見た目が貧相だけれど、
味はそこらの店以上だと経験から確信している。
一抱えもある大きなケーキをウェッジウッドの皿に乗せて気分を盛り上げた。
そういえばこのお皿、今年初めて使ったみたい。
ケーキを見ていると、音楽も欲しくなった。
聖夜がいいか、賑やかなジングルベルが良いか。
そうだ、子供の頃、家族で歌ったグロリア(荒野の果てに)にしよう。
やはり、クリスマスだね。
♩グロリア インエクセルシス デオ