テレビのニュースでインタビューをしていた。
コロナ感染爆発禍においての新学期開始のことで質問していたらしく、
また幼い小学生の子供が、マイクに向かい、
「心配ではあります。」と妙に大人びた答え方をしていた。
他のチャンネルでの街頭インタビューでも、
主婦らしき人が自分の思いを「〇〇ではあります。」と言うし、
あちこちの番組でもコメンテーターやキャスターがその言い方をしている。
以前からこの「〇〇ではあります。」という言い方に違和感を覚えていた。
心配なら「心配ではあります」と言うより、
「心配です」と言った方がその人の気持ちがはっきりする。
わざわざ「は」を入れるのは、
「心配ではあるけれど心配でもない」というふうにどちらでも取れ、
まるで責任逃れをしている感じがする。
この言い方の始まりは○○話法というものを駆使した政治家だったのだろう。
その話法は責任を逃れるための話し方なのである。
それがいつの間にか民放のキャスターなどに波及し、
マスコミを通して子供たちにも反映されているのではないだろうか。
自分の感情もあやふやに表現するということは、
何に対しても他人事に済ませたいという深層心理が働いているに違いない。
そんな意味で老いも若きも責任逃れの時代に生きているのだと思う。
これからの社会がとても心配にはなる。