魚は肉と違って海があれば自然に育つ。
私は肉料理よりも魚の方をよく食べる。
それは、海のある地で育ったせいかもしれない。
スーパーに好きな魚が並べられていると心が躍り、
高くてもつい買ってしまう。
牛や豚などがそのまま並べられていたら逃げ出すに違いない。
日本人は最近まで多くの人が牛や豚を食べなかった。
それでも人々は命に手を合わせ感謝することを欠かさなかった。
明治以来、その美味はたちまち日本の食生活を凌駕した。
人々は肉を食べるために一生懸命働いた。
最近は肉食の方が長生きするとかで、
高齢の老人も進んで食べている。
「いただきます」の意味さえ上辺だけの儀礼に化した。
世界の秘境と言われるアマゾン地帯などは、
畜産のための牧草を作るため多くの密林が焼かれてきた。
大気に酸素を供給していた湿潤で植生豊かな密林が減っている。
米国などの農村地帯は広大な牧草地が広がり、
おかげで遠い日本でもそれらの牛肉が、
百グラム百円以下で市場に出回っている。
でも、いつの間にか世界の気候は変動し、
その影響は警鐘から兆しを通り越し、現実のものとなった。
今回の新型ウイルスはその一環の流れの中にあるような気がしてならないのは私だけだろうか。
ついに自然界からの人間への逆襲が始まった感がする。
もっと敬虔に命を食べるべきだった。
もっと質素に経済活動とやらをすべきだった。
多くの命や植物たちを殺しておいて、
人間だけが長生きしようなんてあまりにもエゴすぎたのだ。
宮沢賢治の『フランドン農学校の豚』を読み直したい。
(写真は今年初めてのイチゴ。自然なイチゴの収穫は今から)