今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

コロナ死か兵糧攻めか?切実で残酷な選択

緊急事態宣言が続いている中、

用があって他県をまたいで車を走らせた。

 

連休だというのに乗用車は少なく、

走っている車もいつになく地元ナンバーばかりだ。

「ステイホーム」に反しているから肩身が狭い気分が付きまとう。

こんな気持ち、初めてのことだ。

 

途中で隣県のホームセンターに寄ると、

開店を待つ多くの客が誘導員に従い、長い列を作っていた。

どうやら夏野菜の苗が目的のようだ。

まるでディズニーランドの人気アトラクション待ちみたいだった。

 

でも、並んでいるひとりひとりがマスクをつけて、

いわゆるソーシャルディスタンスを守り、

アトラクション待ちのあの濃密さとは全然違った。

決して強要されているわけでもないのに、

きちんと間を空けているのには目を見張る。

こんな光景を見るのは初めての経験だ。

自分を制御する力が人には備わっているように思えてならない。

 

百人区切りで店へ入れるというアナウンスがあり、

開店前だったせいか10分ほどの待ち時間で済んだ。

ホームセンターは自粛規制がないのか店を開けていられるようだ。

それと違い、サービス産業である多くの業種は規制の対象となっている。

外出規制が声高に叫ばれているため、

店を開けても開店休業と同じで死活問題となっている。

 

コロナ対策の緊急事態宣言は、

多くの人たちに死の宣告をしているようにも私には思える。

免疫学の論理が正しいとしても、

生きるための論理も正しいし必要である。

 

極論で言えばコロナで死ぬのと経済活動の停止で死ぬのと、

どちらが良いのかと思ってしまう。

両方とも正しいからどうしようもできない。

 

結果を待たないと何とも言えないにしても、

こんなふうに思うのは私だけではないだろう。