汗をかくほど暑い日だったのに、近くの里山を散歩してきた。
山のツツジはすっかり終わっていたけれど、
最近は見ることが少なくなった黄色のキンランが咲いていて、
やはり、出かけることは良いことだとしみじみ思った。
咲いていると思ったから出かけたのだけれど。
ランのお花畑というには、
木立の合間にたったの10本程度が咲いているだけの山道。
そこでランチを楽しむことにした。
今日は焼きそばとモヤシが冷蔵庫にあったので、
冷蔵バッグにお肉を多めに入れてきた。
ヘラも油も持ってきている。
さて、バーナーに火を入れ、油を敷き、
鍋にお肉とお野菜を入れたところ、
ソースを忘れたことに気が付いた。
リュックが軽くなるようにと焼きそばの袋を開けて、
麺の小袋を抜いてきたのだった。
その時、ソースの袋を取るのをすっかり忘れていた。
リュックをひっくり返して探しても、
いつも上蓋に入れている調味料はすっからかんだった。
汗をかいた身体は塩分を欲しがっているのに、
あるのはお砂糖とミルクにブドウ糖という始末。
お肉の焼ける香ばしい匂いがキンランの森に漂う。
ソースのない焼きそばは想像するだけで不味そうだった。
鍋に入れたモヤシ一袋も多すぎて、
自分の中の何かが壊れているような気がした。
仕方なくモヤシまみれの味なし焼きそばをお箸でつつく。
美味しいはずのお肉なのに、肉の味さえしないのが不思議だった。
ソースが欲しくてたまらない。いや、せめて塩があれば。
黙々と鍋に箸を運び、こびりついた麺まで剥がして食べる。
味のない焼きそばとはいえ、お腹は一応満たされたのだろう。
でも、満たされたという実感がなく、
どうしても五臓六腑がしっくりとこない。
物足りなくてたまらないということか。
その妙な感じは下山する2時間後頃まで続いた。
調味料のない初めての経験で、
人類の歴史はただ食糧だけではないということが身に沁みて分かった。