今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

水槽の中の生物たち

ミナミヌマエビが入っている水槽には幾つかの生き物がいる。

名前は正しいかどうか分からないけれど、まずはサカマキガイ

この貝は水を汚すらしく取り除かなければならないけれど、

その繁殖力はもの凄くて毎日生まれるらしく、

日に何度も見つけては耳かきのような匙ですくい取っている。

 

目に見えないぐらいの小さい卵のようなものはプランクトンで、

何やら増殖しては大きくなるプラネリアというものもいた。

これは見た目が気持ち悪いし、何だか良いことをしないようなので、

見つけ次第取り除いている。

 

先日、生き物の生態に明るいS君が遊びに来た際、

ミナミヌマエビの水槽を念入りに調べてもらった。

彼の鋭い観察によると、プラネリアは数えきれないほどいて、

他の生き物も幾つかいるという。

 

それは、イトトンボの生きたヤゴ1匹と、

何やらSF映画に出てきそうな細い糸状のイトミミズというものだった。

ヤゴは既に羽化してトンボになったらしく、

その抜け殻がホテイソウの上に張り付いているという。

 

イトミミズは棒でつつくと動き、

ヤゴの抜け殻はミクロ世界の恐竜のようでとても立派だった。

イトミミズはいつからこの中にいたのだろう。

この中で誕生したのだろうか。

 

カルキを抜いた水道水ではなくて、

タタンの水辺公園や山の沢で水を貰って来たのが、

こんな風に我が家の水槽をビオトープ化したのかもしれない。

 

それにしてもイトトンボはリビングの中に飛び立ったのだろうか。

ちょっと気の毒な気がしている。

(写真上 抱卵しているメス 下 ヤゴの抜け殻)

 

 

 

無菌世界と化す日常暮らし

 

我が家近くのスーパーではキャベツなどのお野菜はそのまま売られ、

客はじっくり手で触れながら確かめるようにして買っていた。

ところが、最近はコロナのこともあってか、

お店の野菜は殆どラップで覆われて売っている。

何と大根も丸ごとではないけれど、

半分ほどに切ってラップで覆われたりしている。

 

以前からこのことはとても気になっていた。

片手に掴むことの出来るような小さなショウガなども、

ひとつひとつ丁寧にトレイに入れてあるから、

自宅でトレイはすぐにゴミになってしまう。

 

品物はスキャンして読み取られるので、

バーコードがないとレジが成り立たない理由からだろう。

トレイはバーコードを貼るのに便利だからだ。

 

道の駅などの地場産野菜などはそのままのものも多いけれど、

そこでさえコロナの影響もあってか、ラップに包んであるものが多くなった。

消費者の手に渡った先のことや、地球の未来など商売にとってはそんなの関係ない。

多く売れればそれで良いのである。

 

昔の市場なら人と人とが接触し流通が成り立っていた。

今は、人がいかに他者と接触しないで買い物ができるかが良しとされている。

当然、支払いも人の手に頼らずできるようになったし、

何よりどれほどの人が触れただろうお金そのものが消えてしまった。

 

ますますこの世界は接触のない、ある意味、無菌的世界になっていく。

そして、プラスチックごみによるマクロな汚染と、

ミクロに及ぼす新たなウイルスの誕生による弊害が、

どんどん人々を苦しめていくだろう。

残念ながらもう手遅れかもしれない。

 

平和だからこそできる菜園づくり

今年の野菜作りはちょうど体調を崩した時期だったため、

計画通りにはいかなかった。

いつもの年なら夏野菜の植え付けは、

大体ゴールデンウイークあたりに終わらせてる。

 

毎年植えていたネギは買うのを逸してしまい、たった一束しか買えず、

スーパーで調達しなければならないようだ。

そのことはとても残念でならない。

 

そこで、どうにか袋や畑に植え終わったものはというと、

苗で買ったものが、トマト8本、ナス3本、トウモロコシ3本、

キュウリ4本、オクラ3本、バジル5本など。

食用ではないけれど日蔭作りのためのヘチマ4本も買った。

 

4月に種を撒いて育てているはツルナシインゲンで、

これは相当数育っていて狭い菜園の2畝は必要だ。

ジャガイモも残ったものを埋めて、今は1畝が白い花をつけている。

菜園以外の場所にはイチゴが群生し、毎朝収穫していて、

今からもっと忙しくなる。

 

今年は思いもかけない戦争の不安や原油価格の高騰など、

自分たちの身辺が世界情勢に大きく影響されている。

青空とヒマワリの国では、

農作業を生業とする人でさえ命の危険に晒されているのだ。

 

こうして趣味の畑作りが続けられるだけでも、

由としなければならないのか。

そう思うと、戦争をしかけ世界を震撼させ続けているかの国に、

ますます腹が立ってくる。

 

 

 

 

久し振りのテニス

二年ほど前からやめていたテニスをやってきた。

今回はクラブではなくてテニス教室というものだった。

募集で集まった参加者は15人ほどで、2つのコートを使う。

 

念入りに準備運動をした後、経験者と初心者に分けられた。

もちろん私は初心者の方だ。

 

初心者といってもどうやら全くのそれではなく、

以前テニスをやったことがあり、

久しぶりにラケットを持つというそんな感じの人ばかりだった。

 

ラケットの持ち方、正しい構え方、スタンスや重心の取り方など、

とても分かりやすく説明してくれ、

最初にボールを手で投げるように指導された。

 

ボールを投げるなどやったことがないけれど、

間隔としては簡単にネットを超えると思ったけれど、

それが残念ながら2球ともネット前で転がり落ちた。

 

初心者組を指導するコーチは女性で、経験者組は男性だった。

以前やっていた練習と違い、さすがに教室のコーチだ。

その流れのスムーズさと的確な時間配分には驚いた

 

それから一つ一つの練習が効率よく進み、

変わるたびに一休みをして水分補給となる。

隣の経験者組はあまり体力を使わないのか、

私たちのような頻繁な休みは取り入られてなかった。

 

一番面白かったのは最後の練習で、

二人ずつ軽く打ち合うゲームのようなものだった。

ミスしたら背後で待つ次の者がすぐに入って打つ。

 

初級者だからコートの広さに慣れていなくてコントロールが悪く、

一度だけで交代するから10回続くのが難しかった。

時間は過ぎていたがコーチは10回続くまでやらせてくれた。

 

久し振りの激しい運動で身体がクタクタになったけれど、

ラケットをつかみコートを走り回るのは気分爽快だ。

来週の教室が楽しみである

雨が降らなければ良いのだが。

友達と野外ランチ

11時頃、掃き出し窓のガラスをトントンと叩く人がいた。

いつもの音楽仲間で仲良しの友達だった。

驚いて窓を開けると、ラインで連絡したというではないか。

 

いつも忙しい彼女は今現在、とある事情で時間に余裕ができているのだ。

たまたま私は、この朝に限ってスマフォを確認していなかった。

どちらかというと、スマフォ中毒なのに不思議なものだ。

 

玄関ではなく庭から顔を出す訪問者は最近は滅多にいない。

いや、この家に越してきてから全くいなかった。

でも、彼女ならそんなふうに気安い行動をしても気にならない。

 

まほろば公園に行こうよ」と彼女が言った。

まほろば公園は我が家から10キロもないところにあるが、

以前は毎春訪れていたのにここ2年は行っていなかった。

家事をやめ、すぐに服を着替えて水だけを用意する。

 

昼食はまほろば公園にある店で食べようと、彼女は言った。

でも、私は家の近くの水辺公園のテイクアウト店を提案した。

その店はコロナのせいで長く休んでいて、

つい先日に立ち寄ったらオープンしていたのだった。

その時、久し振りに食べてとても美味しかったのである。

 

友達も納得したのですぐに電話で注文し、

出来上がるまで水辺公園を散歩した。

店はオープン前だったので正午にランチを受け取り、

気持ちの良い緑の木陰でランチタイムを過ごした。

 

お腹がパンパンに膨らんでから、

友達の車でまほろば公園に向かった。

「少しは歩かなきゃね」と、私たちは長い石段を上った。

それが、満腹のせいか足がとても重く感じられ、

普通なら上の神社まで20分ぐらいなのに、

その倍もかかってしまった。

 

神社からは関東平野が一望できて、

ランチタイムを過ごした水辺公園もうっすらと見えていた。

二つも公園巡りなんて贅沢すぎる。

突然、迎えに来てくれて有り難うと、心の中で呟く私。

友達は霞の中にあるらしい富士山をしきりに見つけようとしていた。

 

(写真下 まほろば公園の丘に広がっていた花)

 

地震の多い昨今に

 

今日は子供の日だった。

この日は昔は嬉しい特別な日だったけれど、

とっくに大人でもあるし、

長い連休の中間の一日のせいで殆どぴんと来ない。

 

行楽地はコロナの規制が緩和されたせいなのか、

この大型連休は相当に賑わっているらしい。

旅行や食事外出を国が規制するのもおかしいけれど、

世界中の国が同じような規制をしているから仕方ないのか。

 

私は日中はキャンプの後始末の続きをしたり、

午後は仲間と借りている公民館に出かけ、

楽器の練習をしたりして過ごした。

 

夜の7時前の頃、自宅でくつろいでいたら突然の地震で驚いた。

すぐにテレビのスイッチを入れると震源地は近くで、

どうやらここらあたりは震度4らしい。

震度4はかなり大きい。

 

揺れはリビングにいたから2階の寝室と比べると大したことはない。

何かが落ちることもなく天井から下げられて照明器具が揺れている程度だ。

上にいたら部屋が左右に揺れて相当に怖かったと思う。

最近の家の仕組みは耐震構造になっていて、

地震の揺れを緩和するためにわざと大きくしなるようにできている。

 

揺れの最中に次の衝撃がドンッと激しい音を立ててやって来るのではと、

いつもひどく心配するが、それは2011年の311の時だけだった。

福島の人たちと違いただの一度で、その後は経験していない。

 

最近は地震が頻繁に続いて、気にはなっているのだけれど、

やはり、喉元過ぎるとすぐに忘れてしまう。

そのため緊急袋も今は用意していない。

 

ウクライナで爆撃に耐えている人々の過酷な日常が頭を過ぎる。

彼らは緊急袋を用意することもできないのだ。

そう思うと胸が塞がれる。

 

近いうち緊急袋を用意しようと思っている。

またかの国に対し、何某かの寄付をしなければとも思う。

 

(写真 22/05/05 18:48  気象庁の発表)

 

 

雨あられ、大荒れのキャンプ

 

昨日は山奥のキャンプ場に着く頃、

五月晴れの青空はあっという間に黒い雲に覆われてしまい、

まるで嵐の前触れのような雰囲気になっていた。

天気予報は終日晴れということなのに、山沿いは荒れるらしい。

 

受付を済ませ、適当な場所を決め、車から荷物を下ろす。

キャンプは設営時に雨が降ってきたら大変なことになるので、

とにかく急がなければならない。

 

初めてのタープは強い風にあおられ、結構時間がかかった。

それでも、どうにかテントとタープを設営すると、

安心な我が家が出来たようでホッとした。

 

私は持ってきた衣類や寝具をテント内に運び、

5人分の寝床を作るのに苦労した。

なぜか頭が混乱し、何度もやり直しするのだった。

 

外では炭を起こし始めていたが、すぐに雨が落ちてきたので、

タープの下にバーベキュー台を移動する。

雨音がおかしいのでよく見たら何と霰が叩きつけている。

タープの隅に白い霰が溜まっている。

 

その内、地面は泥だらけのぬかるみになり、靴下が湿って来た。

台風さながらの風で今にもタープが倒れてしまいそうだ、

現にすぐに新品のポールが曲がってしまっている。

椅子に座っていても落ち着かず、まるでサバイバルだ。

 

それでも、炭火に火が付くと、時間はまだ4時頃なのに、

肉や野菜をどんどん焼いて、赤ワインを開け食事開始とする。

お米の入っている飯盒もどうやら炊けている。

 

こんな悪天候でのキャンプは滅多にないのではないか。

でも、どんなシチュエーションでも野外料理はワクワクするものだ。

牛肉、豚肉、鶏肉、ウインナー、ピーマン、玉ねぎ、椎茸等々。

最後に作ってもらった焼きそばも最高に美味しかった。

 

食事を済ませると全ての道具をテントの前室にまとめた。

食べ物類はきっちりと容器に入れ、動物に荒らされないように室内に取り込む。

これはテント泊の鉄則で、米国のロングトレイルでは、

熊も開けられない頑丈な缶を買わなければ実行できない。

 

雨と霰、そして凄まじい強風は夜中タープを激しく揺らし、

その度に恐ろしい音がしていた。

もしかしたら、タープはどこかに吹き飛ばされてしまったかもしれないと、

何度も目が覚めては心配した。

 

温度計を忘れたけれど外はマイナスになったらしい。

想定外の寒さに震えながら、受付で会った女性のことを思い出した。

初めてのソロデビューと言っていたっけ。

 

こんな過酷な条件で無事楽しく過ごせたのなら、

きっとソロキャンプにはまってしまうだろうなあ。

そんなことを思いながらうとうととしていると、

いつの間にか外は明るくなっていた。

やっと雨が上がったようだ。