東海道中で最も難所といえば大井川だろう。
この川には橋がなく道中の客は、
人力に頼るしかなかった。
そもそも橋がないのは度重なる洪水のためもあるが、
江戸幕府の防衛上、敵の侵入を防ぐ理由もあった。
相当な人数が西から東、東から西へと移動していたので、
川で働く「川越人足」という男たちはかなりいたのだと思う。
錦絵の「東海道川津尽 大井川の図」は、
子供の頃からとても興味を引いた。
波立つ川に裸の男たちが遊女らしき客や、
大名行列の籠ごとまるでみこしを担ぐように、
対岸まで運んでいるのである。
これを見た時は、客の着物は濡れないのかとか、
人夫が転んで客もろとも溺れたりしないのだろうかとか思った。
また寒い時期も渡ったのかも疑問だった。
少しずつ東海道を旅している私が、
今回訪れた場所が渡しのある島田宿だった。
駅の観光案内書で尋ねたら、
ギネスに認定されている木造橋を教えてもらった。
今では鉄道や新幹線、車道など幾つも長い橋が架かっている。
でも、昔は橋がなかったのだ。
明治になって職を茶作りへと変えた武士たちがこの地域を開発し、
川向うとの利便性のために農道として木の橋を作ったという。
1キロ近くもあるこの橋から大井川の主流を覗くと、
高所恐怖症の私は足がすくんだ。
それに、ここを「川越人足」たちが生業の場にしていたと思うと、
昔の人の体力と忍耐力に頭が下がる。
今は何もかにもが人手がいらず、利便性だけの世の中になった。
でも、この長い木造橋は壊されずに残され、
今も農道としての役割を果たしている。
その景観も素晴らしいので、観光客の渡り賃100円は安いものだ。
(写真は天理参考館展示のもの)