今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

森の中で眠った後は尾根を下る

リーダーが事前に歩き、ここはと目星をつけていたテント場は、

山の尾根に突然広がる緑の大地だった。

ブナやシオジや白樺の木々に囲まれ、地面は芝生のようである。

人も来ないし、これまでで最高の場所のように思われた。

 

明るいうちにそれぞれが赤や黄色、青や緑色と鮮やかなテントを張った。

いくら美しい森といえど、ひとりだったらどんなに淋しいだろうか。

でも、こんなに仲間が同じ大地に眠るとなると心細さなど微塵もない。

 

私はリーダーが担いできてくれた大きめのテントで仲間3人と寝た。

隣に寝る友人がガサガサと音を立てていつまでも何かを探していたけれど、

安定剤を半分飲んでいたから明るくなるまで眠ることができた。

 

朝は「4時半起床、6時出発」という予定だったので、

慌ただしく寝床の片づけにかかる。

片付けの遅い私はいつも最後になってしまい、

団体行動がこんな時に苦手に感じる。

 

その間、食事担当のリーダーが何やら朝食を料理していてくれた。

リーダーは先週はここでひとりで寝て、今回は弱虫組のテントまで担ぎ、

私たちの朝夕の食事まで作ってくれる。

彼女のリュックは20キロ以上もあって恐ろしく重たくて、

私には1ミリも動かせないから人間の違いを感じてしまう。

 

朝食のメニューはチーズの入ったリゾットだった。

お米は登山用のアルファ米を熱湯で柔らかくしたものである。

これが、なかなか良い味に仕上がり、

昨日の残りのお野菜などでトッピングして5時前に頂いた。

食後のお茶を飲むと、それぞれリュックを肩に背負う。

 

それから幾つかのアップダウンをこなして、長尾根を少しづつ下っていった。

空は青く天候に恵まれていたが、高度が下がるごとに気温が上がっていく。

下界は30度を超えるという予報らしいと誰かが言う。

 

木々の間に堂々と聳える富士山、名残の山ツツジ

背後には賑やかなお喋りが続いている。

何て幸せな時間なのだろう、いつまでも歩けますように。

心の中でそう願う私だった。

 

富士山を見ただけで幸せ

今日は山仲間と久しぶりに集まった。

私は出先から中央線の駅近くに車を置かせてもらい、

9人の仲間と駅からタクシーに乗った。

2台のタクシーで峠の登山口まで半時間ほど走った。

 

いつもの山旅なら登山口までマイカーで行くけれど、

今回は下山地がここではなく尾根を辿ったところだ。

静かで長い尾根らしい。

 

タクシーの値段1台8000円ほどで、2台ではその倍だ。

これを参加人数で割るからたいした額にはならない。

こうした登山は私のようなマイカー利用の者にはなかなかできず、

こんな時、仲間の有難さが身に染みる。

 

タクシーを降りると、背後にまだ頂上付近に雪をかぶった富士山が間近に見えた。

青い空の下に堂々と立つ富士山、何て美しいのだろう。

一同歓声を上げた。

 

ここから目指す山の頂上へはわずか1時間ほどだが、

久しぶりに会う仲間たちはおしゃべりに夢中で立ち止まることも多く、

時間が倍ほどかかった。

今日は尾根の途中で野営するから焦ることもなかった。

 

夏色の広葉樹の森に夏ゼミの声が響き、仲間たちの笑い声が絶えない。

皆、この雰囲気を味わいたくて集まって来たのだ。

競うように山の話をする数十年来の友人たち。

 

仲間の一人は新幹線でやってきて、今日は所用があるらしく、

てっぺんまで一緒に歩くだけで帰ってしまうと言う。

登山口で降りた時、ドライバーに予約も済ませている。

 

彼女はひとりでタクシーで帰るわけだから、大変な出費となる。

それでも、私たちに会うことができ、

かの地では見ることの出来ない富士山を見たから十分に幸せだという。

 

今夜、共に山の夜を過ごせたらどんなに良いかと残念だったけれど、

みんなで手を振って下山する彼女を見送った。

 

 

 

 

早朝散歩で自信をつけた

週末に仲間と山に行くので、

足慣らしのために朝早くに隣町のもみじ寺山に行ってきた。

朝から散歩など全くしない私だけれど、

しばらく身体に不調をきたしていたから足に自信がなかった。

少し鍛えておかなければならない。

 

それに一週間ほど前に友人とその山を散歩したとき、

大事な山の道具を忘れてきた気がしていた。

いくら探してもないので、もしかしたらと思って行ったのだった。

 

誰もいない初夏の緑の中をひたすら飛ばして、

ふたりで食事をしたベンチまで行った。

けれど、忘れ物がいつまでもあるはずがない。

友達に貰った大切なものだったけれど、きっぱりと諦めよう。

 

あの時はお喋りをしながら歩き、

ゆっくり食事を楽しんで往復3時間半ほどかかったのに、

今日はたったの1時間半だった。

 

底が何度も外れボンドで修理したハイキングシューズも大丈夫そうだ。

気を良くした私は、帰り道にラージヒルの第二ベンチにも寄って来た。

そこもいつもなら往復1時間半ほどかかるのに1時間弱で戻ることができた。

もちろん荷物のない空身状態のせいもあるけれど、

何となく身の軽さを感じて嬉しかった。

 

週末は山中でテントを張っての本格登山だ。

自信がないと参加する気にはなれないが、どうやら大丈夫な気がする。

 

 

 

ヒヨコは愛らしい

今日は注文したヒヨコを養鶏場に貰いに行ってきた。

3月に北関東ので買ったヒヨコが1羽だけになったので、

その子が淋しがっているというので注文したのだった。

 

注文からひと月半、やっと念願のヒヨコが手に入った。

3月に手に入れたヒヨコは岡崎おうはんという種類で、

生まれて間もない小さなものが2000円以上もするものだった。

 

地飼いの卵は大量生産の卵と比べると値段が何倍もする。

でも、その安全性は比べようがない。

だからだろうか、卵を産み始める成鳥は1万円近くもするから驚きだ。

 

今度のヒヨコは業者専用でとても安く8匹も貰ってきた。

やはり、生まれて間もない黒い雌のヒヨコで、

種類はヒペコ・ネラといってどうやら元々はオランダ産らしい。

 

小さな段ボール箱に入れられたヒヨコは、

車の中でビービーと泣き続けた。

30キロ近くバイパスを走っていると、

時々後ろから泣き声が聞こえなくなり心配になったが、

家に着いて箱を開けるとチョコチョコと動き回り安堵した。

 

前回は2羽買ったのだけれど、

可愛がり過ぎたせいか2日で昇天したのだった。

今度こそは8羽全部が立派な卵を産む成鳥になって欲しい。

早速、大きな段ボール箱にヒヨコ小屋を作って上げた。

餌はウズラの餌を途中のホームセンターで買ってきた。

ヒヨコたちがこぼさないように半分に縦割りしたラップの芯に入れ、

水を置くとおしくらまんじゅうのように競って食べ始めた。

その様子があまりにも愛らしくて何度も見てしまう。

 

早く大きくなって卵を毎日産んで欲しい。

 

 

 

再生栽培に挑戦してみたけれど

ニンジンや里芋など捨ててしまう野菜くずを、

お水を入れたお皿に浸しておくと、

しばらくすると新しい葉っぱが出てきて少しずつ大きくなり、

寒い冬など観葉植物の代わりにすることができる。

 

私は余ってしまい捨てられないお芋や里芋などを使い、

部屋のアクセントにして楽しんでいる。

新しく生まれた小さな緑の葉に植物の生きる力を感じる。

 

これはあくまでも観賞用だけれど、

再生栽培という趣味のような野菜作りがあって、

上手な人は食べられるまでに育てるらしい。

英語ではリボーンベジタブルと言う。

 

大分前に豆苗という見慣れない野菜を初めて買った時、

白いスポンジにびっしりとサヤインゲンの種が埋まっていた。

ちょうどその前に苗屋でインゲンを買ったばかりで、

その豆苗がまさにインゲンそのものの苗の集まりだということに驚いた。

 

苗屋のそれは一本100円といった世界なのに、

もやしのように育てられた豆苗は、

同じ100円でも密林のように苗がひしめいている。

 

そうだ、これをばらして育ててみよう。

そう思った私は豆苗を使った後、半分ほど庭の畑に移植することにした。

隣には苗屋で買ったインゲンの苗があり、それに並べて植えるのだ。

 

苗屋のインゲンはひと月ほどで花を咲かせ、

その後、瑞々しいサヤが食卓を彩った。

一方、豆苗の苗は待っても待っても花芽が出ず、

ただ狭い畑の畝を占領しているだけだった。

やはり、抜いてしまおうか。

 

ところが、先日のこと、青い蔓の先に紫色をした花が一つ咲いていた。

花が咲くまで二か月以上かかったことになる。

花の開花はとても嬉しかったけれど、

この一輪の他に花芽らしきものは見当たらなかった。

やはり、これは単なる遊びだ。

リボーンベジタブルで食を期待できない。

場所がないので明日抜いてしまおうか、

それともこの花がサヤインゲンになるまで我慢しようか。

リルケの詩を思い出したバラの花

先日、バラ園が賑わっているというニュースがあった。

画面に映る赤やピンクの花、何と美しいのだろう。

満開の桜にも心騒がされるが、バラはまた一味違う。

そのバラ園は50キロ以上も遠くにある。

 

友人を誘ってみたら、良いことを知った。

そんなに遠くまで混雑するところに出かけなくても、

すぐ近くにバラ園があり入場料も要らないという。

 

早速、車を走らせ友人を拾い、バラ園に向かった。

そこは確かに10分もかからない近くにあって、

入り組んだ裏通りの住宅街にあるのに駐車場には車が絶えることがない。

 

その施設とも言うべきバラ園は、とある鉄工工場の敷地内で、

広い庭に様々なバラが植えてあった。

経営者がバラが好きなのかいつの間にか敷地はバラ園状態となって、

誰もが鑑賞できるように取り計らってくれている。

きっと奇特家なのだろう

 

園内のあちこちにはシックに統一された東屋やベンチが置かれ、

お昼時はのんびりとお花に囲まれながらお弁当も広げられるという。

この時期の何日かだけ解放されるらしく、

宣伝などしていないのに花好きの人々の口コミで知れ渡ったようだ。

 

バラはピークを過ぎていてちょっと残念だったけれど、

中には瑞々しく開く見頃の花もあった。

バラの花びらの重なりは深淵そのもので見るものの心を圧倒する。

 

じっと見つめていると、フランスの詩人リルケの墓碑を思い出さずにはいられない。

西洋のお墓にはこうした詩などを刻んであるものがよくある。

 

『薔薇 おお 純粋な矛盾 よろこびよ

かくもあまたの瞼の奥に何人の眠りでもないといふ』

 

リルケはバラの棘で亡くなったという噂もあったほど薔薇が好きだったのだ。

これは旧語体の訳だけれど、私はこの方がぴったりとして好きだ。

薔薇には何か重厚な雰囲気が漂っているから。

 

友人にそのことを話すと、キョトンとしていた。

 

 

『マーシャと熊』を思い出すイチゴジャム作り

イチゴが最初に一粒だけ赤くなったのは今月の1日だった。

それからというもの庭を占領したイチゴは次々と熟し始め、

朝と夕方にそれらを集めて摘むのが今は日課になっている。

 

露地物の完熟したイチゴは甘酸っぱくてとても美味しいけれど、

生のイチゴはせいぜい4、5粒しか食べられないので、

殆ど凍らせて厚手の保存袋に入れてためている。

それがいつの間にか冷凍庫を占領するほどになっていた。

 

重さを測ったらちょうど2キロだったので、恒例のイチゴジャム作りに挑戦した。

挑戦とは大袈裟だけれど、

イチゴジャムは強火で半時間ほど煮詰めなくてはならず、

ちよっと目を離すと大鍋からはみ出てしまい大惨事になる。

 

熱々のジャムを入れる保存瓶もジャム作りの直前に、

半時間ほど煮沸消毒しておかなければならない。

こんなふうにそれだけに集中しなければならないから、

イチゴジャム作りにはちょっとした決意が必要なのである。

 

ロシアの子供向け動画に『マーシャと熊』というのがあって、

熊と主人公の女の子がジャム作りをしている話がある。

いたずらっ子マーシャに翻弄される気のいい熊ミーチカのお話だ。

 

ジャムの物語では沸騰したイチゴが鍋から溢れ、

部屋中がジャムの海のようになって、

外へ流れ出てしまうという面白いものだった。

 

ジャムを作っていると、『マーシャと熊』のように、

沸騰して火山のマグマのように膨らみ、

ジャムが鍋から飛び出すことがよくある。

だから、ずっとかき回し続け、溢れそうになったら慌てて火を消す。

そんな作業を半時間ほど繰り返し続けなければならない。

 

『マーシャと熊』では言葉を話すのは人間であるマーシャだけである。

それ以外はみな動物だから身振り手振りで会話が成り立っている。

私はマーシャの早口なロシア語の美しさに心惹かれていた。

 

いつか学びたいとも思っていたのに、

ロシアが起こした戦争はまだ先も見えず、

残念ながらもうそれはできないだろう。

 

今年のジャム作りは政治がいかに重要かということを、

あらためて思い知ることになった。