今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

小淵沢田代から下山成功

 

空を見上げると昨日に続いて真っ青な秋空が広がっている。

気温が下がったため地面の草もフライシートも水滴でびっしょりだ。

山の中のビバークなのでさすがに眠れなかったけれど、

こうした山行に慣れている友人は、

横になった途端にぐっすり寝入っていた。

 

その友達に5時に起こされ、お湯を頂きコーヒーを飲む。

朝ごはんは昨夜食べなかったちらし寿司と野菜汁を頂く。

痛んでいた足は何とかもう1日歩けるほどに回復していた。

 

そこで、急いで後始末をして歩き始めた。

途中で沢登りで小淵沢田代まで行くという沢屋グループに会ったので、

情報交換をする。

彼らは山道のことははっきり記憶していなかった。

 

今日の予定は車に荷物を置いて、尾瀬沼からの偵察だった。

乗り合いバスなら1時間ほど時間を短縮できるので、

700円払ってバス利用にした。

 

荷物は雨具やダウンの上着、それに水、食料だけなので空身に近い。

一ノ瀬から三平峠を経て尾瀬沼に下る。

2時間ほどであの尾瀬の名風景の場所に着いた。

見事な秋晴れで燧ケ岳が青い空にくっきりと美しい。

 

念のためビジターセンターに寄り、

小淵沢田代から大清水への道について質問してみたが、

係の人は歩いたことがないと言った。

 

2時には沼に戻るつもりで小淵沢田代へ続く暗い道を上る。

1時間ほど登ると今度は下りになって、やっと念願の田代に着いた。

もうそこは草紅葉の金?世界だった。

 

途中で若者が来て大清水から鉄塔のあるコースでやってきたというので、

詳しく道を教えてもらった。

しばらく歩いていると朝に話をした沢屋グループに出会った。

彼らは田代でお昼を食べてから、

私たちと同じ山道で大清水に下るというからちょっと安心だった。

 

細長い田代の木道から鬱蒼とした森に入ると、

やがて「中の俣沢経由大清水」という古い標識を見つけた。

この地点が今日の目的地だったけれど、

ここを下れば昨日見つけることができなかった下山口を確かめられる。

 

尾瀬沼に戻ると三平峠までまた上りがある。

しかも、バスに乗らなければならない。

ここなら下るだけだ。

若者が教えてくれた鉄塔の道はもっと先だけど、

熊笹の道が刈り払いされていたから決心した。

お昼のサンドイッチを食べ、ドキドキしながらぬかるんだ山道を約1時間下る。

とても歩き辛かったけれど、無事昨日の林道に降り立つことができた。

そこは私たちがリュックを置いて偵察したすぐのところだった。

オレンジテープがあったけれど、登山口には見えず、

通り過ぎてしまったのだった。

そこから昨日の林道を黙々と2時間近く戻り、今回の山旅を終えた。

 

 

今日小淵沢田代を横断しなければ、またずっと宿題を抱えたままになる。

踏破できて本当に良かった。

一緒に歩いてくれた仲間に感謝だ。

とはいえ、以前歩いた鉄塔の道を探さなければ宿題は終わらない。

 

 

小淵沢田代は何度行っても謎の道

友達を案内して尾瀬に行ってきた。
尾瀬には年に一度は必ず行っているのに、
残念ながら今年は体調が悪くて実現しなかった。

 

だから、何か大事な忘れ物をしたみたいで、
友達との行き先を尾瀬にすることにしたのだった。
東京に住む彼女は尾瀬は遠くて滅多に行けないというので、
行く価値は十分にあったのである。

 

尾瀬といっても私が目指すところは人の歩かない場所である。
地図にも「歩行困難」と記されている小淵沢田代だ。
ここは何度来ても道を間違えていて、なぜか自分の中でルートがはっきりしない。

 

大清水に車を置いてハイカーの目立つ一ノ瀬には向かわず、
いきなり右手に始まる奥鬼怒林道に入る。
ここから小淵沢田代の登山口を探すことにする。

 

この道は何度も歩いているのに、
林道を長く歩いたことと白い田代の案内標識だけしか記憶がなく、
どこから入ったのか一向に思い出せなかった。
そのためにどんどん奥鬼怒の方へ進んでしまった。

 

ここを歩いた最初は仲間たちと奥鬼怒の山を周回した時で、
鉄塔のコースから標識のある場所に下山した。


2度目はそのコースを確かめたくて単独で山に入り、

林道で迷っていたら業者の若者が通りかかり、

林道入口まで車に乗せてもらい、

田代近くの鉄塔まで登ってからUターンした。


3度目は友達を誘い二人で白い標識から登り、
尾瀬沼に下ろうとしていたはずなのに、

メビウスの輪のように奥鬼怒林道に戻っていた。


4度目はひとりで反対の尾瀬沼からキャンプ場を経て小淵沢田代に上り、

田代を確かめてから戻った。


あといつ行ったか忘れたが、うっすらと残雪の田代が記憶にある。

その前にも行ったことがあるのに、

一度足りとて田代経由で縦走できたことがなく、

私にとっては因縁のルートとも言える。


そんなところに友人を案内するなんて、私が間違っていた。
彼女は私よりももっと重い荷物を背負っている。
記憶が混濁しすぎていて定かでないのにとても申し訳なかった。

 

2時間近く歩いても登山口が見つからないので、
友人が地図を見ながら怪訝な顔をしている。
その時はすでに三つほどの橋を渡っており、
小淵沢田代からだんだんと遠のいていた。

 

地図をよく見て橋の名を落ち着いて確認するとかなり行き過ぎていた。
田代へは小淵沢沿いに登って行かなければならず、
その林道はだいぶ手前で今まで来た奥鬼怒林道と分かれているのだった。
間違いに気づいた私は彼女に何度も謝った。

 

気を取り直して小淵沢林道を歩き出したけれど、
これがまたいくら歩いても登山口の標識が見つけられなかった。
赤テープも林業用のピンクテープしかなかった。
林道は近年の大雨で荒れていてゴロゴロと歩きにくく、
ビバーク覚悟の登山だから荷物が肩に食い込んで足も痛かった。

そのうえ道沿いの幹にはクマの爪痕が多く、道の真ん中には糞もある。

 



視線の先には立派な擁壁が作られていた。
車も通らないような林道になぜこんなに新しい土木工事が成されているのだろう。

その正体を知りたくて、林道沿いの角地にリュックを置いて空身で更に進んでみた。
林道わきには純白のオシロイシメジが群生していて、ちょうど食べ頃だった。
最近はこのキノコは食毒不明のカテゴリになっている。
バケツいっぱいは採れそうだったが採るのはやめた。

 

そして、20分ほど進んでみたけれど、

私の記憶する『小淵沢田代』の白い標識は見つからなかった。
だから、先に行くのは諦め、少し戻って森の中でビバークすることにした。
もう足がパンパンで歩き続けると倒れそうだったのだ。

 

小淵沢田代へは明日大清水から行こうと二人で決め、

背負ってきたビールで乾杯した。

 

モノよりお金という時代

人生の節目節目のプレゼントに私たちはよくモノを頂いた。

子供の頃なら靴とか文房具、大人になったらちよっと高級なモノなど。

それらには素敵なグラスやコーヒーカップもあったっけ。

もらった時の感激や喜びは今も忘れていない。

 

モノがなかった時代はそうした形ある贈り物は嬉しかったけれど、

残念ながら今の時代は周りがモノに溢れ、

捨てるのに困っているぐらいだ。

そのせいかあまり喜ばれないので、

最近の贈答品は食べ物がほとんどになっている。

 

近頃の私は家族にはお金をプレゼントすることにしている。

夢はないけれど、それで好きなものを買うことができるし、

滅多に行けないお店で食事をすることもできるだろう。

モノだったら好き嫌いもあるし、かえって迷惑になることが多い。

 

そう思うと、何か災害があった時、

モノを送るということは迷惑をかけることになる場合もあることが分かる。

災害地に多くの服が送られ山積みされて困っているとか、

助け合いはなるべくお金でしてほしいとか。

前にそんなニュースを聞いたことがある。

 

モノを送って何らかの役に立ってほしいと思うのは素晴らしいことだけれど、

時代は変わってしまった。

私もお店を回ってプレゼントの品を探すより、

封筒に手紙を添えた現金を入れてしまうようになったのだ。

 

何だか殺伐としているけれど、これが現実だ。

でも、昨今の燃料高騰がモノ不足を引き起こすことになるかもしれない。

そのうちまたパラダイムが変わる日がやってくるのか。

世界を見極めるのはとてもとても難しい。

 

 

 

 

熱が出たけれど

水曜日の夜、少し寒かったのにお布団もかけずに寝てしまったら、

夜中に体が冷えてしまい、お昼には高熱が出てしまった。

風邪特有の節々の痛みもあり、ずっと横になっていた。

 

今日は4日目だけれど、どうにか動けそうなので、

ハンドルを握っていつもの趣味のクラブに参加してきた。

会が終わると半時間ほど友達とどうでもよい世間話をする。

 

この友人は私が熱を出したと知ると、

発熱外来受診と検査をするように言ってきた。

今までなら熱が出たらコロナを疑い、

保健所や発熱外来に行かなければならなかったのに、

最近は保健所も自己管理を進めてくる。

 

友人宅はひとりが検査で陽性になったけれど、

だからと言って保健所から強制的に何かをされるということはなく、

自分で何日か家にこもるというだけの措置になったという。

 

検査を受けなければコロナとは分からない。

ということは、人の集まるお店などにはたくさんの陽性者がいることになる。

もし、私もそうだったらマスクはしているが、

趣味の仲間にウイルスをまき散らしていたかもしれない。

 

友人宅は自治体からは酸素測定器が送られてきたというが、

一つでよいのに家族全員分が来たらしい。

食料の補助などなかったようだ。

 

私の住む町はどうなのだろう。

陽性だったとしたら何か公的補助があるのだろうか。

どうやらコロナ陽性後の対策なども自治体で違うようだ。

きっと国の指針も揺れ動いているのではっきりできないのかもしれない。

 

そろそろコロナも普通の風邪に格下げしても良い時期になったのではないだろうか。

 

 

 

 

メダカの自然淘汰

メダカを育てるようになって早一年が経つ。

ひょんなことからの付き合いだから生まれて初めての観察になる。

私の飼い方が良かったのかは分からないけれど、

一組のつがいからもう二百個以上の卵が産み出されている。

 

卵は孵化用に用意したペットボトルに分けていて、

それが10日ほどでかわいい稚魚になる。

 

その稚魚だけれど、生まれて三日ほど経つと個性の差が目立つ。

同じ条件で生まれているのに体長が倍ほどもあるのがいて、

これがとても意地が悪くて敏捷だ。

 

大きな稚魚は小さな稚魚をしきりに追い掛け回している。

のんびりと平和に泳いでいる時は少ない。

そのせいかどうかは不明だけれど、

10匹ほど入れていた水槽の中のメダカは日に日に数が減り、

結局、数えると2割も残っていないのではないか。

 

大きいメダカが小さいメダカをいじめて淘汰しているのか。

ヒトの世界にもありそうなことだが、

こうしたことは生き物の性なのだろうか。

 

それとも水槽に対して多く入れ過ぎているのだろうか。

容器にふさわしい数はどのぐらいなのだろう。

せっかくの稚魚だから成魚になるまで育ててあげたい。

 

 

 

キノコを見て遠い昔を思い出す

先日、水辺公園の森を歩いていた時、
気味の悪いキノコに出会った。
それはちょうど赤い色の筆のような形をしていた。


筆の先端にはドロリとした黒い汁のようなものがついている。
キノコらしい傘もないから、形状から見るとスッポンダケの一種のようだ。

その先端の墨汁のようなものはおそらくキノコの胞子だと思う。

花でいえば花粉みたいなものである。


このところの天候不順で菌が育って一斉に土から顔を出したのだろう。

白い丸い卵のようなものが土に出ていて、そこから茎を出すようだ。
キノコを見ると食べられるかどうかすぐ考えてしまう私だけれど、
それはいかにも気味が悪く、折ってみて茎を調べる気にはなれなかった。

 

写真を何枚か撮って、帰宅してから調べてみた。
キノコの本は数冊持っている。
それに特徴があるキノコだから簡単に分かるだろう。

 

そう思ってページを開くと、
これと似たようなキノコは数種出てくるのだけれど、
本によって名前が違うから困った。
食用キノコなどは地方でも呼び名が違って同定するのは難しい。

 

このキノコは見た目が特徴的だし、

「キツネの絵筆」、「キツネの蝋燭」のどちらかに違いなかった。
もちろんこんな形態だしたいていの本では食毒不明となっているけれど、
昭和43年発行の『きのこ図鑑』によると食用とはっきり書いてある。

 

この古い本はたいていの野生キノコが食用と書かれている。
こんなふうにキノコの研究はまだ発展途上らしく、
食毒が書き換えられることもよくある。
こんなに単細胞?な菌類なのに悩ましい。

 

キノコの写真集を見ていたら、
キノコに魅せられて菌類の研究者となり、

野山を歩いてその写真を撮り集めていた昔の友人を思い出した。


その友人が私をキノコ観察会によく誘ってくれた。
私が自然と向き合うようになったきっかけになった友だ。

おかげでその後はずっと、

私も野山を観察しながら歩くのを続けている。

時の経つのが早すぎて

 

具合が本調子に戻ったので水辺公園を歩いてきた。

歩数を稼ぎたいから車を使わず我が家から歩くことにした。

歩きながら、前回はいつ歩いたかなということをいつも思う。

週に一度はと必ず年の初めに決意してもこれがなかなか難しい。

 

最近は日々のメモも書いていないから、

スマフォの写真が日記代わりになる。

そこで撮りためた写真を遡っていくと、水辺公園のシーンが探し出せる。

 

前回歩いたのはお盆の日だった。

かんかん照りの中、大きな傘を日傘代わりに歩いたっけ。

すると、もう一月以上も経っているのだ。

 

自分の記憶ではまだまだ新鮮でそんなに時間は経っていないのに、

現実の時間はとんでもなく早く進んでいた。

それとも私の記憶回路が壊れてしまったのか。

 

ひと月経って景色は確かな秋色に変化していた。

青々とした芝生も何となく褪せてきている。

真っ赤な彼岸花が盛りを越して、しおれ始めている。

ところどころにキノコが傘を広げている。

秋の花なのだろうか、さざ波の立つ水辺に初めて見る花が咲いていた。

 

岸辺にはバードウォッチャーが高齢男性ばかり10人以上も集まっている。

何やら鳥についての雑談をしているようだ。

世の中にはいろんな趣味の人がいる。

 

ここを歩いていると季節の巡りをはっきりと五感で確かめられる。

遠くへ行かなくても美しすぎる自然がある。

週に一度は歩かなければと思いながら、

今年もあっという間に過ぎてしまった。