今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

普通の風邪を引いたのか

一昨日から不覚にも風邪を引いてしまった。

これまで毎日が湿度も高くうだるように暑かったので、

上掛けもかけず、窓も開けたままにして寝るのが当たり前だったから、

同じように寝てしまったのがいけなかった。

天気予報通り、真夜中に気温が突然下がったのだ。

 

慌てて窓は閉めたのだけれどお布団をかけるのが面倒くさくて、

そのまま朝まで寝こんでしまった。

そうしたら案の定、目が覚めると、

体が妙にほてって風邪を引いてしまったことに気づいた。

風邪はこうなるともう逃げられないことは長い経験で知っている。

 

前日にネットで新しいパソコンの注文をしていた。

それが、ずいぶんと早い手配で、午前中に品物が届いてしまった。

つまり、まだ風邪の病の最中である。

 

寝床で初期設定などの面倒な入力作業をしていたら、

痛む頭がますます痛くなって具合は悪くなるばかり。

体温は一度下がったのにまた38度5分と上がってしまった。

 

これはまだしばらくおとなしくするしかない。

友人が発熱外来を受診するようにアドバイスしてくれたけれど、

外に出たらもっとひどくなる気がする。

それに家で寝ているのだから検査の意味もない。

 

パソコンの設定をどうにか済ませるともう余裕はなくなって、

薬箱から漢方薬を探し、ビタミン剤を飲み、水分を補給する。

普通の風邪は症状があるのが大体4日で、完全に治るには1週間はかかる。

 

今日は3日目だからしばらくの辛抱だ。

それまで横になって映画を見るしかない。

健康はいいなあとつくづく思う。

 

 

良い医者には心が通っている

親指の先にガラスの微小なかけらが刺さってから早ひと月が経つ。

指先がちょっと触れただけで飛び上がるようにチクッとするので、

医者に診てもらうことにした。

 

2週間後に行ったクリニックは評判のいいA皮膚科で、

だいぶ前に一度行ったことがあった。

道もわかるし、知らない医者よりは行きやすかったからだ。

 

Aクリニックは相変わらず混んでいて30分ぐらい待たされた。

ようやく順番が来て事情を話し痛みが取れない指を医者に見せると、

医者はちらっと見ただけで「ガラスは残っていない」と言い切った。

 

その理由として破片が刺さった時、血も出ず、傷跡もなかった。

だから、100%ありえないのだと。

それなのに指を押すと鋭い痛みがある。

おかげで細かい仕事ができず強いストレスを感じていた。

 

医者に見せれば患部を見て何か処置をしてくれると思ったのに。

その医者は前からあった痛みなのではなどと、

全然あてずっぽうなことしか言わなかった。

だから、何の進展もなくそのまま帰宅した。

A医師の3分間の接見は初診料が診療報酬となった。

 

それから一週間後、痛みが辛くて自分で見つけたB医院に行ってみた。

そこもとても混んでいたが、医師に状況を説明すると、

ガラスのかけらが残っているのかもしれないと言い、

数ミリ平方だけど指の皮をピンセットで剥がして探してくれた。

音がカチンと感じるとそれが皮膚の中の異物だと説明してくれた。

何か微小な異物を取り出してくれたが、痛みは違う場所にあった。

 

場所が違っていたので痛みは取れなかったけれど、

痛むようだったらまた来るように言われたせいか、

それだけでも心が救われる思いだった。

 

またB医院に行くつもりである。

ヘチマ水に挑戦

緑のカーテンにしたヘチマが倒れてしまったので、早めに片づけることにした。
去年、生まれて初めてヘチマを作り、その後、ヘチマ水つくりにも挑戦した。
昔の作り方だからやったことがある人はおらず、ネットで調べてやってみた。

 

先日、未熟のヘチマの皮をむいていたら、その皮の水分がぬるっとしていて、
ヘチマ水と同じだということに気が付いた。
そこで皮を顔に撫でつけてみると何とも気持ちよかった。
キュウリにも同じ効果があるけれど、断然にこっちがよい。

 

今年も3本の茎を土から抜かないで1メートルほど残し、
それをペットボトルに挿して水が落ちるのを待つ。
これが面白いことに初日は一晩で5センチ以上に達して驚いた。
その後、少しずつになり、あまり増えなくなったのが心配だ。

 

このヘチマ水はすべすべになる感触がとても肌に良い感じで、
妙なにおいも一切なくて爽やかだ。
ローズマリーなどのハーブだ作る場合と比べ、エタノールや蒸留水も必要ない。
土中の水分を茎が純粋に化粧水にしている。

 


昔の人はヘチマを食用にしたり、実がなるまで育てて束子にしたり、
自然のものを利用するのもとことん最後まで使い切るのが当たり前だった。
使い物にならなくなったヘチマは再び畑の肥料になっただろう。
今のようにごみ問題で悩まされることもなく、気候変動も免れたかもしれない。

 

ヘチマ水は一升瓶に貯めたらしいけれど、そんなに取れるのだろうか?
まだ3日目だけれど10日間ぐらい溜めてみようと思っている。

ご近所さんは挨拶をしないのが今や常識?


玄関回りの芝の手入れをしていたら、小さな女の子か寄ってきた。

先日越してきたばかりの近所の家の子供のようだ。

「こんにちわ」と挨拶をするとちゃんと笑顔で返事をしてくれた。

 

続いてその子の父親がやってきて女の子と同じように、

ニコニコしながら「草刈り大変ですね」と、話しかけてきた。

ご近所の住民となるとどんな人かが気になるけれど、

この二人の感じからすると、どうやら心優しい人のように思えて少し安心した。

 

聞くところによると、家族は隣町からやってきたらしい。

小さな女の子はまだ幼稚園でお姉さんは中学生とか。

考えてみたら最近は初対面の他人とそんな話はしない。

 

昔だったら名前から年から会社からありとあらゆる情報をご近所は知っていた。

なぜならよく外で世間話をしていたからだ。

町会の名簿には連絡先なども書いてあったし、

今のように個人情報的なものはタブーではなかった。

 

我が家の前は子供がよく通るのに、玄関回りを掃除していても、

通学する子供たちがどこの子供か分からない。

高学年の子は私の後ろ姿がそばにあっても挨拶もせずに通り過ぎる。

大人に至っては車で出勤するためどこの誰だか皆目分からない。

災害などがあってもどこの誰がどうなったかというのも不明である。

 

この住宅団地が新しくできてすでにー昔が経った。

その頃、歩いて学校に通っていた子供は、

もうとっくに大人になって車に乗るようになり姿を見なくなった。

車社会とはこんなにも近所付き合いを希薄にさせてしまうのだ。

 

さて、あの新しい住人となったあの子も、

ひと昔が経てば大人になる。

ニコニコと挨拶をするのはわずかな期間だ。

 

それまでは必ず声をかけることにしよう、

そんなことを思いながら草刈りを続けた。

 

 

友達が誘ってくれた夏の低山歩き

先日のこと、ガラスのかけらが指に刺さって以来その痛みが取れず、

私がとても落ち込んでいると察した友人がハイキングに誘ってくれた。


山を歩いていると自分よりも自然がドンと前に来るので、

日頃の憂さを忘れそうになる。
それで少しは救われるのだ。
そのことを友人はよく知っている。


目指す場所は山の家から50キロぐらいのところにあり、

そんなに遠くないので、駅で彼女を拾って電車ではなく車で行った。

彼女とは2か月ぶりの再会である。


まだまだ真夏と変わらない暑さのために訪れる人もおらず、
駐車場にはハイカーの車は1台しか止まっていなかった。
二時間以上運転したけれど、

車でのアプローチだからつまらない車道歩きをしなくて済むらしく、
久し振りの私にとって体力的にとても助かった。


友人にルート案内を任せ、私は軽いリュックで彼女の後ろを歩いた。
彼女の説明によると、この山は隣り合う山と二つ合わせて歩くのが定番らしい。
けれど、今日は私のリハビリのために来たので一つだけにしようと言ってくれた。


内心は二つの山ともよく耳にする山なので両方歩きたいけれど、
こちら側の峠の登山口だとかなり時間がかかるそうだ。


立派な杉林の続く日陰の道を2時間ほど歩く。

途中でキノコ観察などをしながらゆっくりと進み、

最後になだらかな公園のような広い山頂に着いた。


残念ながら空は白くかすんでいた、

富士山やこの地域の山々は何一つ見えなかった。
それでも、山頂にいると心から満足する。

特に生まれて初めて歩く山は格別だ。

 

山頂に着くと空が晴れてきたので日陰を探して丸太に腰掛け、

友人が作ったにゅう麺をご馳走になった。
「山のランチは久し振り」と喜ぶ私に彼女も嬉しそうだった。

 

実はこの日、私はとんだ忘れ物をしたために、

雨具やコッヘルなど彼女が二人分持ってきてくれたのだった。

山道具の入ったリュックを車に積み忘れていたうっかり者の私なのだ。


ここは東京地方の人々に人気の山で、

真夏以外なら土日はもの凄い数のハイカーがやってくるらしく、

平日だって賑わうらしい。
それなのに今日は私たちだけの貸し切りなので、

もう10回以上も来ているという彼女はとても驚いたらしく、

そのことを何度も繰り返し言った。


食事をした後、二つ目の山の尾根道を眺めて確かめてみたけれど、

確かにかなり下ることになる。

まだ時間はお昼なので戻って来ても良いが、体力に自信がなかった。


健脚の彼女が「今度はあちらも歩きましょう」と言い、
予定通りピストン(行と帰りが同じ道)で下山にかかった。

(写真 ナメコに似ていたが、同定できないと絶対食べない)

 

丸太を貰いフードロスを考える

河川敷沿いの道を走っていると、伐採した木が積んであることがある。
河川は国土交通省の管轄だから、
それらの伐採木は時折こうして必要な人に還元される。
特に伐採木は台風などで倒れた木だから、良質の広葉樹が多い。

私も気が付くと車に積んで貰っていくようにしている。

 

大きな幹を始末するには相当の費用がかかる。
それならばこうして必要な人に持って行ってもらえばいい。
夏はキャンプ用の薪に貰っていく人もいるかもしれないけれど、
それらは切ったばかりの生の木だからすぐには燃えない。

 

たいていが暖房用の薪ストーブに使うので、
家に持ち帰っても1年ないし2年ほどは乾燥させる必要がある。
乾燥させるためには丸太を斧で切って薪にしなければならない。

またそれらを積んで並べるための薪棚も必要になって来る。

この手間を考えると買った方が良いかもしれないけれど、

粗大丸太が重油を使って焼却炉で処分されるのは耐えがたい。

 

燃えやすいように小さく割ってないそのままの丸太だし、
時には車にも乗せられないほど長いものもある。
そんなわけで捨てられた丸太がすっかりなくなってしまうには、
ひと月以上かかることが多い。

 

薪を必要としない人には厄介な粗大ごみである。

庭の木などの伐採もたいがいが業者任せである。
でも、こうして少しだけ頭を使い手間をかければ、
必要とする人にとっては宝となるし、血税の無駄も減る。

 

スーパーの売り物も同じことが言えるのではないか。
賞味期限間近のものは安売りをしてさばくか、
そうしたものを一所に集める場所を作って、
必要な人に持って行ってもらえば消費者にとってよいのではないか。

何よりフードロスのための無駄なエネルギーが節約できる。

 

どこかでそういう場所ができたというニュースを聞いた。
ロッカーには寄付された食料品や生鮮食品もあって、
事前に登録しておけばいつだって貰っていくことができるらしい。

誰かが率先して進めないと、こうしたことはなかなか定着できない。

 

学校などの公共施設の備蓄食品も期限が来たら自分たちで処分しないで、
こうしたストック場所に置いたらかなりの助けになると思う。
廃棄丸太を見るといつもそう思うのだが、

フードロスも組織的に何とかしてもらいたい。

九死に一生を得た両者

先日、スーパーで買物をした時のこと、

私はあわや車に轢かれそうになった。
荷物を車に乗せた私は、

いつものようにカート置き場に向かっていた。
その時、突然背後に何か妙な風を感じた。

 

振り向くと白い車が私の真後ろにあって、とても驚いた。
その距離は私の身体から何と5センチほどしかなく、
殆ど触れているのと同じ感じだった。

 

幸い身体に1ミリもぶつからなかったので、
私は車をちらっと見ただけで、
何のアクションもせずにカート置き場に行った。

カートを置いて戻ってきても、

先ほどの車は駐車場の通路に止まったままだった。


車のそばまで来ると、

とても小柄の女性が、ドアを開けフラフラと下りて来た。
そして、「すみません。ごめんなさい」と、

何度も苦しそうに頭を下げるのだった。

 

時刻は夕方で空が曇っていつもより暗かった。
この時間はとりわけ事故の多い時間帯だ。
彼女が言うには私の姿が全く見えなかったという。
突然フロントガラスに現れたとか。

 

だから、もう駄目だと観念して急ブレーキを踏んだという。
幸い車は私の直前で止まった。
もう心臓が止まるほど恐ろしかったとか。

 

カートを戻す時は誰もが走ったりもしないし、普通にゆっくり歩く。
カート置き場に向かう時はちゃんと左右を確認しているが、
私ももっと注意すべきだったのか。

 

彼女の言う通り、私の姿が全く見えなかったに違いない。
この日のシャツの色はどちらかというとアースカラーだった。
視野に入りにくい色なのだろうか。

 

私と違い彼女の身体は震えが止まっていない。
私は「良かったですね、お互いに気をつけましょうね」と笑って応えた。
でも、もしそのまま彼女の車が私にぶつかっていたら、
どんなことになっていただろうか。

 

恐いもの知らずの若者だったら、

駐車場の中でも徐行運転をしないかもしれない。
今頃は意識不明の重体でベッドに寝ているかも知れない。

庭の花さえ愛でられない。

 

その後の人生は不幸なものになる。

加害者側も同じことが言える。

そんな意味では私たちは九死に一生を得たのだった。


車社会では連日こんなことが起こっていると思うと恐ろしくなる。
特に薄暮の頃は気を付けよう。

今回の件は両者とも運が良かったに違いない。