友達を案内して尾瀬に行ってきた。
尾瀬には年に一度は必ず行っているのに、
残念ながら今年は体調が悪くて実現しなかった。
だから、何か大事な忘れ物をしたみたいで、
友達との行き先を尾瀬にすることにしたのだった。
東京に住む彼女は尾瀬は遠くて滅多に行けないというので、
行く価値は十分にあったのである。
尾瀬といっても私が目指すところは人の歩かない場所である。
地図にも「歩行困難」と記されている小淵沢田代だ。
ここは何度来ても道を間違えていて、なぜか自分の中でルートがはっきりしない。
大清水に車を置いてハイカーの目立つ一ノ瀬には向かわず、
いきなり右手に始まる奥鬼怒林道に入る。
ここから小淵沢田代の登山口を探すことにする。
この道は何度も歩いているのに、
林道を長く歩いたことと白い田代の案内標識だけしか記憶がなく、
どこから入ったのか一向に思い出せなかった。
そのためにどんどん奥鬼怒の方へ進んでしまった。
ここを歩いた最初は仲間たちと奥鬼怒の山を周回した時で、
鉄塔のコースから標識のある場所に下山した。
2度目はそのコースを確かめたくて単独で山に入り、
林道で迷っていたら業者の若者が通りかかり、
林道入口まで車に乗せてもらい、
田代近くの鉄塔まで登ってからUターンした。
3度目は友達を誘い二人で白い標識から登り、
尾瀬沼に下ろうとしていたはずなのに、
4度目はひとりで反対の尾瀬沼からキャンプ場を経て小淵沢田代に上り、
田代を確かめてから戻った。
あといつ行ったか忘れたが、うっすらと残雪の田代が記憶にある。
その前にも行ったことがあるのに、
一度足りとて田代経由で縦走できたことがなく、
私にとっては因縁のルートとも言える。
そんなところに友人を案内するなんて、私が間違っていた。
彼女は私よりももっと重い荷物を背負っている。
記憶が混濁しすぎていて定かでないのにとても申し訳なかった。
2時間近く歩いても登山口が見つからないので、
友人が地図を見ながら怪訝な顔をしている。
その時はすでに三つほどの橋を渡っており、
小淵沢田代からだんだんと遠のいていた。
地図をよく見て橋の名を落ち着いて確認するとかなり行き過ぎていた。
田代へは小淵沢沿いに登って行かなければならず、
その林道はだいぶ手前で今まで来た奥鬼怒林道と分かれているのだった。
間違いに気づいた私は彼女に何度も謝った。
気を取り直して小淵沢林道を歩き出したけれど、
これがまたいくら歩いても登山口の標識が見つけられなかった。
赤テープも林業用のピンクテープしかなかった。
林道は近年の大雨で荒れていてゴロゴロと歩きにくく、
ビバーク覚悟の登山だから荷物が肩に食い込んで足も痛かった。
そのうえ道沿いの幹にはクマの爪痕が多く、道の真ん中には糞もある。
視線の先には立派な擁壁が作られていた。
車も通らないような林道になぜこんなに新しい土木工事が成されているのだろう。
その正体を知りたくて、林道沿いの角地にリュックを置いて空身で更に進んでみた。
林道わきには純白のオシロイシメジが群生していて、ちょうど食べ頃だった。
最近はこのキノコは食毒不明のカテゴリになっている。
バケツいっぱいは採れそうだったが採るのはやめた。
そして、20分ほど進んでみたけれど、
私の記憶する『小淵沢田代』の白い標識は見つからなかった。
だから、先に行くのは諦め、少し戻って森の中でビバークすることにした。
もう足がパンパンで歩き続けると倒れそうだったのだ。
小淵沢田代へは明日大清水から行こうと二人で決め、
背負ってきたビールで乾杯した。