知人の庭の柿の木にできたという渋柿を頂いた。
何という名の柿かは聞くのを忘れたけれど、
とても大きくて立派な柿で片手で掴むとずっしりとしている。
今日は晴天で気温も低く、干し柿作りには絶好の日だ。
乾燥させて作るので干し柿といえば小ぶりの柿だと思うが、
ここらあたりでは干し柿用の柿としてとても大きいものが売られている。
頂いた柿は20個もあって、皮を剥くのに時間がかかった。
甘くて柔らかいあんぽ柿のような干し柿を想像すると労苦を厭えない。
半分ほどの柿に黒いシミのようなものがあったけれど、
そのまま干すことにした。
小さな渋柿なら一本の紐に何個も結ぶのだが、
この柿は重いので一つ一つぶら下げることにした。
軒下に吊り下げられた柿の様子は、
いつ見ても深まった秋の風情を感じる。
昔の人はとても食べることのできない渋柿を、
こうして天日で干せば美味しくなることを知ったのだ。
多分食べ物がなくて様々な工夫を凝らした結果に違いない。
田舎の広い家には今でも渋柿の木がよく見られる。
近くを散歩してもそのままに枝についたままの、
大きな柿のある家が何軒もある。
どうやら干し柿はアジアのわずかな国でしか作られていなかったようだ。
今では米国でも作られていると言うが、
確かにドライフルーツとしては絶品のものだろう。
糖分が多いので昔の人は長旅の携行食にしたと思う。
それにしても、あちこちの庭に放置された柿の木が多いのには驚く。
空き家となった家や豪邸の庭にも、
木の枝にたわわにぶら下がる柿の木がある。
そんな光景を見ると拾って帰りたくなる。
でも、勝手に入って行ったら住居侵入?になるし、
勝手に柿を拾ったら泥棒ということになる。
空き地の放置柿を見るのは悩ましい限りだ。