今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

クマが気の毒な私

 

久しぶりに散歩した水辺公園は青々とした芝生が広がり、
どんぐりの実がびっしりと落ちていた。
ここは管理された公園だから広葉樹の大木も生き生きとしている。

 

芝生に落ちたドングリを見たら、クマのことを思った。
今年はクマの出没が異常に多く、あちこちで被害者が出ている。
その度に猟友会が捕獲して山に帰したり、
どうしようもない時は退治、つまり、殺処分している。

 

今まではクマという動物はとても神経質な性格の持ち主で、
ヒトをとても恐れていた。
それはクマに限らず野生動物の殆どがヒトを恐れる。

 

私はとある夕刻の林道でタヌキの子と出くわしたことがあった。
ヘッドライトに照らされたその子の目が光り、
その幼い姿はまるで縫いぐるみのように可愛かった。

 

私の車に振り向き一瞬止まったので、
急いで車外に出てその子を捕まえようとした。    
可愛さのあまり抱いてみたかったのだった。

 

ところが、その子は一声発し襲い掛かる勢いで恐怖の顔をして、
道の側溝に逃げ込んだ。
こんな小さな子もヒトを恐れるという連綿としたDNAで生きているのだった。

 

クマに関しても山歩きの際に3度ほど遠くに見かけたことがあるけれど、
私に気づくと一目散に木の上に登って逃げてしまった。
彼らがヒトを攻撃するのは子連れの時か、
キノコ採りなどで突然目の前に出くわした時だけだった。
それほどヒトに会うのが嫌なのだ。

 

ところが、昨今の度重なるクマ被害のニュースは、
そうした常識が通用しないほど変わってしまった。
その理由は毎年のように続く気候変動のせいで、
山の恵みが少なくなったことが大きい。

 

野生動物の一日はひたすら食べることだから、
彼らは山を下りゴミを漁ってヒトの食べ物の味を知り、
ヒトの世界にうま味を覚えたからに相違ない。

 

暑すぎる秋で木の実も少なく、ナラ枯れ病で木々も腐っている。
そんな森が今の彼らを取り巻く現状なのだ。
そう思うと彼らが気の毒過ぎて、
私はどうしてもクマさんの側に立ってしまう。

 

クマというと、なめとこ山のそれと童話のクマとミーシャなのである。
何とかならないかと強く思う。