その日のうちに渡したかった届け物の用があって、
歩いて友達の家の玄関チャイムを鳴らしたら、
友人は「まさか」というような顔をして私を迎えた。
確かに支線とはいえ、駅一つの距離を歩いてきたのだから、
驚くのが当たり前なのだろう。
この日は歩数と距離を測るために万歩計をセットしていて、
彼女の家までは約4キロほどで、
かかった時間は1時間とちょっとである。
人は平地では大体このぐらいの速度が標準だ。
とはいえ、友人は私の万歩計の数を教えると納得した。
たったの6756歩だったからである。
というのも、彼女は毎朝近くの水辺公園まで散歩していて、
大体同じほどの距離を歩いている。
でも、健康のための散歩なら分かるけれど、
用事を歩いて済ませることは考えられなかったのだろう。
万歩計の数値は単に散歩という行為と、
こうした所用のためのものと比べたら意味が大きく違うのだ。
私は近くのコンビニやスーパーによく歩いていくが、
この辺りに住む人たちはゴミステーションでさえ、
まず玄関から先は全て右足のアクセルから始まる。
だから、通りには大人の姿は見られず、
たまに通る登下校の子供たちの姿しかない。
この日も友達の家に着く間の1時間、車は通ってはいたけれど、
歩く人には会わなかった。
リビングで話し込んだせいか長居してしまい、
彼女が車で送ってくれると言うので有難く甘えてしまった。
自宅までは車でたったの10分ほどだった。
もし、予定通りに帰りは暗い道をB駅まで歩き、
1時間にたった2本の電車を待ち、
わが家のあるA駅から家に戻ったとしたら、
きっとまた違った感覚を味わうことになっただろう。
歩数ももしかしたら1万歩になっていたかもしれない。