テレビでは連日ウクライナの戦いの様子が放送されている。
普段テレビのスイッチを入れない私なのに、
このところ朝に晩に釘付けになっている。
ロシア軍の侵攻が赤い色で塗られ、
じわじわと首都キエフに向かっている地図を見て息を呑む。
予想では2,3日で首都は陥落すると言われていたが、
思いのほかの抵抗でまだ首都は落ちていない。
この間、ロシア軍は無慈悲にも民間の家々を砲撃し、
多くの犠牲者が出ている。
軍隊とは人を殺すことに抵抗を感じない人格を作り上げる組織である。
だから、壊滅するために侵攻しているのだ。
それに対し、市民は家族を守るために立ち上がっている。
女、子供、老人たちは、
旅行用のスーツケースなどに身の回り品を詰めて、
テレビに映る子供たちの叫びに涙が止まらない。
あの時は1937年のスペイン内戦のことだった。
その後、『誰がために鐘は鳴る』を書き上げている。
人間って何という愚かな存在なのだろう。
避けきれない地震や天災、近年の気候変動による大雨など、
多くの災害が人々を苦しめているというのに、
人の力によってこうした大災害を引き起こす。
想像力一つあれば、
空から爆弾が落ちてきたらどんなことになるか分かるはずだ。
我が子や家族が爆弾で身体がばらばらになったら、
また自分がそういう被害を受けたらどんな苦しみか誰にでも分かる。
人は天災から逃れる術はない。
でも、人災は人の叡知によって止めることができる。
こんな簡単なことなのになぜできないのか。
神に祈ることなどできない暗澹たる気持ちの日々が続いている。