先日、風のとても強いだったが、
鳥見ベンチで持ってきた食パンの切れ端をカモに上げていたら、
そばにいた女性が声をかけてきた。
私のそばにカモがいて、パンをおねだりしていると言うのだった。
鳥見台の前には人の腰ほどの高さで金網が設けられている。
水辺に集まったカモの大群はなぜか土くれの斜面に集合し、
かなり密によちよちと動いている。
パンを小さくちぎって向かい風に向かって投げると、
あまり運動神経がよくないのか嘴に入れるのに苦労している。
彼女の指さす足元に目をやると、ふっくらとした一羽のカモがいた。
「この子だけは塀を超えたんですね」と言ってその人はほほ笑んだ。
子供カモらしく、くるくるとしたまるで罪のない目が愛くるしい。
足元にパンのかけらを落とすと、とても苦労して口に運んでいる。
カモの嘴はアヒルのようだから、細かいと食べにくいのかもしれない。
二人でその子を眺めていると、
「こんな小さな体でシベリアまで飛ぶなんて不思議ね」と、
その人が呟いた。
去年まで私もずっと鳥を見るたびにそのことを思っていた。
渡り鳥はいくら風に乗って飛ぶと言っても、
何千キロは無理ではないかと。
でも、渡り鳥は疲れたら海に浮かんで休むのではないか。
夜もちゃんと寝るのではないか。
最近、そのことに気づき目から鱗だった。
その話をしたら彼女はたいそう喜んだ。
自分も心配でならなかったと。
それから、私たちは冷たい風の吹く鳥見ベンチで、
ウクライナで起こってることなど、
かなり長いことおしゃべりをして過ごした。
殆どの話題で考え方が一緒だった。
身体が冷たくなったので鳥見ベンチを立ちあがり、
別れを告げ、車道のある水辺通りを家に向かった。
別れ際に今日は思い切って来たけれど、
私と話ができて本当に良かったと言ってくれたのが心に残った。
ふいに後ろから車のクラクションが鳴り、
先ほどの女性が窓を開け放ち「またねえ!」と言いながら、
私に手を振って去って行った。
私も車に向かって大きく手を振り返した。
袖触れ合うも多生の縁というが全くその通りの出会いではないか。