私は港町で育ったから魚が大好きだ。
ステーキとお魚、どちらを食べるかと言われたら魚を選ぶ。
魚はそれぞれ味の個性があって、毎日食べても飽きることがない。
ステーキは牛の肉で哺乳類の一つに過ぎない。
豚肉は豚で、鶏肉は鶏だ。
世界中の家畜を数えても10本の指で間に合うかもしれない。
その点、魚の種類は数えられないほど多い。
その上、魚は家畜と比べたら海という大自然が自ずから育ててくれる。
海が汚染されない限り、魚は生まれ続ける。
家畜の種類は限られていて、それらを育てるには大量の餌が必要だ。
今ではアマゾンの森林地帯が家畜のために牧草地になっていて、
そのことも温暖化を加速させているようだ。
スーパーで好みの魚が並べられていると、
多少高くても買ってしまうけれど、最近は妙に安いのが多くなった。
それらは産地を見ると福島県産とある。
福島の海は原発に面していて、
原発の排水で温度の高くなった場所がある。
海に壁は作れないので、福島県産にはどうしても食指が伸びない。
今日はホウボウが1匹150円ほどで並んでいた。
いつもなら600円以上はして大変な高級魚だ。
私はこれで出しを取ったお味噌汁が好物だから、
時には無理して買っていた。
でも、今日はとても安い。
一瞬逡巡したけれど、買い物かごに入れた。
昔の人ならこんな思いはしなかった。
文明が発達して便利な世界になると、
放射能や温暖化や、その他諸々の心配をしなければならない。
便利さにとってかわったのはそれらの不安である。
ウクライナのことで、人々は核の心配をし始めた。
今までもあったとしても、それは抑止力としてのもので、
何となく絵空事の不安だった。
でも、もうそんな能天気な時代は終わったのだ。
皿に並べたホウボウの罪のない黒い瞳が何やらいたいけなく感じる。