書類の整理をしていたら、
富士山に登った時の一枚の小さなメモが出てきた。
箇条書きに書かれたその紙には、
時間の経過の記録がちよっとしたメモとともに書かれている。
日付はなかったけれど、確か暖冬の年の開山前の連休だったか。
さて、この貴重な?メモ、捨ててしまうのでブログに記録しておくことにした。
どのコースを行ったのか忘れたので、このメモをもとに地図で調べてみたら、
どうやら富士山スカイラインの新5合目駐車場から出発したようだ。
6:00 雪渓あり 6: 15 10人の老年バーティー
6: 25 雲海荘が右に見える
6:50 富士宮口分岐あり 2600m 石の避難小屋 6号
7:30 7号小屋 12人ぐらい ジュース
8:15 7.5号小屋 9:10 3250m 避難小屋 開いている
10:00 3400m 2-本の柱 お金差し込まれている
10:10 万年雪 山荘 9合目 残雪多くなる
11:05 9号半 3620m 石積小屋 鳥居を左に。落石恐い。上に観測所。
帽子飛び取りに行く
12:25 山頂
13:00 下山
14:05 碑がある 14: 25 小屋 14:30 ブロック作りの小屋 賽の河原みたい 単の不気味な♂ 14: 45 小屋 ベンチたくさん 犬凍っている 棒が立って方向間違えぬよう 15:40 宝永火口のコル 15: 50 山、さち(山頂のことだと思う)
16:05 火口 16:15 交差 16:30 新6合 雲海荘
メモはここまでしかなく意味不明な語もあるけれど、
時間は正確に記されている。
これによると約6時間半で登頂し、
宝永山経由で約3時間半かかり下山している。
暖冬で無風の日だったから雪があっても危険は全く感じなかった。
日本一の富士山なのに自分の中ではすっかり記憶の彼方にあった。
登ったことは覚えているけれど仔細の状況は思い出せない。
固有名詞の雲海荘と宝永山がヒントになった。
紙の記録は掌にとってみることができ、
富士山を一日で往復している事実が嬉しかった。
今は登山中にメモをしている人など滅多におらず、
身に着けたgpsや写真などの電気的デバイス(機器)が秒までも記録してくれる。
そんな意味でも日本一高い富士山の登頂メモは意味深い気がする。
今は一日で登ることを誰が付けたか「弾丸登山」というらしいが、
ご来光を見ないのなら富士山は日帰りの山だと思う。
かつての修行を思えば納得がいくではないか。
今や入山料も要るらしく、コロナでの人数制限もあるらしい。
以前と違い車の規制もある。
規制は仕方ないとしてもマニュアル化されるのは好きではない。
遊びである登山の世界も色々とうるさくなったとつくづく思う。
メモを見ながら色んな意味で鷹揚だった当時を懐かしく思い出した。