今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

救急車が来て思った医療の現実

先日のこと、救急車がピーポーピーポーと大音響を立てながら、

ぴたりと我が家の前で止まった。

こんなことは初めてだ。

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驚いた私は窓から外を覗き、網戸に張り付いてこっそり様子を伺った。

キンモクセイの葉の間から見える前の家には、

まだ20歳にもなっていないような若者が、

苦しそうに玄関の石段に座っていた。

 

彼は10日ほど前からその家に遊びに来ている親戚の青年だった。

目がさわやかで挨拶も進んでするし、とても感じが良かった。

あの子がコロナにかかったのだろうか?

だとしたら病院へ乗せて行って貰えるのだろうか?

 

救急隊員の声がする。

救急車には運転手が乗ったままで、

エンジン音が邪魔をして途切れ途切れにしか聞こえない。

 

酸素濃度が93だから大丈夫だとか、

今はみんなが神経質になっているとか、

何だかコロナの存在がないもののような感じに取れた。

 

20分ほど事情を聞かれていたけれど、

若者は救急車に乗ることはできないようだ。

去り際に隊員がしきりに病院へ行くようにと言っている。

 

彼はその家の客だからかかりつけの医者などいるはずもない。

だから、救急車に頼ったのだと思う。

コロナ前だったらとりあえず病院で精密検査などできたはずだ。

とても丁寧に説明しているので、

隊員も苦悩しているように私には思われた。

 

ことの一部始終を見ていると、

今しきりにニュースで騒がれている救急搬送しても受け入れられないという、

医療崩壊の一端を垣間見たようで恐ろしかった。

 

酸素濃度が93とは大丈夫なのか?

すぐにPCR検査への手配はなされないのか?

お店にはこうした人々がどのぐらい行き交っているのか?

 

翌日の朝、一晩寝て具合が良くなったと件(くだん)の家人が言った。

騒がして迷惑をかけたとも言った。

「検査は?」と喉元まで出ていたけれど、言えなかった。

 

いったい彼はコロナだったのか?とても気になるところである。