未だに収まる気配がない。
あれ以来、私たちの世界はかなり変わってしまった。
日常的に使われる言葉も然りで、相当様変わりした。
新しい言葉が続々と登場し、実に目まぐるしい。
言葉は時代とともに変わっていくものだけれど、
これほど新しい言葉が登場したのは前代未聞のことだろう。
先日、バスに乗った時、「黙乗」という注意書きが貼ってあり驚いた。
「黙認する」や「黙禱」なら耳慣れた言葉だけど、何だか違和感がある。
漢字の造語では三密とか○○警察とか、人流などと、
今まではあり得なかった造語が増えた。
ワープロで打っても出ないものばかりである。
外来語でもソーシャルディスタンスという訳の分からないものも、
今や世界的な共通した日常語となっている。
ソーシャルとは社会的なという意味だから、
物理的な距離ではないと私は思うのだけれど、
どうやらそうではないらしい。
またアフターコロナとかポストコロナという言葉もある。
一つ一つ挙げていくと書ききれないほどある。
黙って乗ることは黙乗、黙って歩くことは黙歩、
黙って食べることは黙食など、
これら新しい造語はただ意味のある漢字を安易に繋げただけだ。
短縮言葉を好んで使う今の若い人たちは、
全く違和感なくこれらの言葉を受容しているようだけれど、
私はいっそう言葉が軽くなったものだと危惧している。
言葉が軽くなるということは、
人間が軽くなるということではないだろうか。