今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

コロナ以後に登場した言葉

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去年の旧正月あたりからの世界的なコロナウイルス異常事態は、

未だに収まる気配がない。

あれ以来、私たちの世界はかなり変わってしまった。

 

日常的に使われる言葉も然りで、相当様変わりした。

新しい言葉が続々と登場し、実に目まぐるしい。

言葉は時代とともに変わっていくものだけれど、

これほど新しい言葉が登場したのは前代未聞のことだろう。

 

先日、バスに乗った時、「黙乗」という注意書きが貼ってあり驚いた。

「黙認する」や「黙禱」なら耳慣れた言葉だけど、何だか違和感がある。

 

漢字の造語では三密とか○○警察とか、人流などと、

今まではあり得なかった造語が増えた。

ワープロで打っても出ないものばかりである。

 

外来語でもソーシャルディスタンスという訳の分からないものも、

今や世界的な共通した日常語となっている。

ソーシャルとは社会的なという意味だから、

物理的な距離ではないと私は思うのだけれど、

どうやらそうではないらしい。

 

またアフターコロナとかポストコロナという言葉もある。

一つ一つ挙げていくと書ききれないほどある。

  

黙って乗ることは黙乗、黙って歩くことは黙歩、

黙って食べることは黙食など、

これら新しい造語はただ意味のある漢字を安易に繋げただけだ。

 

短縮言葉を好んで使う今の若い人たちは、

全く違和感なくこれらの言葉を受容しているようだけれど、

私はいっそう言葉が軽くなったものだと危惧している。

 

言葉が軽くなるということは、

人間が軽くなるということではないだろうか。