友人が送ってくれた山菜のワラビを軽く湯通しした時、
翌朝に見たその茹で水の色に驚いた。
あまりにも鮮やかなエメラルド色をしていたのだ。
それは、アクを抜くために小さじ2杯ほどの重曹を加え、
一晩寝かせておいたものだった。
重曹による化学変化なのかワラビそのもののアクの色なのか、
まるで透明水彩のようだった。
その美しい色水を捨てるのは宝石を捨てるように惜しくて、
しっかり写真に撮っておいた。
中国の漢など、紀元前を舞台にした映画やドラマを見ると、
その色の鮮やかさに驚くことが多い。
日本に文字もなかった時代だというのに、
衣裳や室内装飾や建物に原色がふんだんに使われているからだ。
色は富の象徴だったのかもしれない。
大陸では大昔から絢爛豪華な色を自由に使えたのだろうか。
そうした色は様々な自然のものから化学変化させて、
色のもとを作ったのかもしれない。
白黒写真からカラー写真、白黒テレビからカラー映像と、
人は色の再現を追求し、色は人を魅了する。
そんな意味で日々に色をつけるとしたら、
去年のコロナ騒ぎから、
社会や暮らしに色がなくなってしまったような気がする。
「生活必需品のみの買い物」、「不要不急の外出」などの言葉が行き交い、
灰色の日々がずっと続いているようだ。
人間は無彩色な暮らしにいつまで耐えられるのだろう。
ワラビの茹で汁の写真を見ていると、
そんなことまで考えてしまった。
コロナよ、早くどうにか去っておくれ、
心の中でそう強く願った私だった。