私は占いとか姓名判断とか風水などと言った、
非科学的で現実離れしたことには全く興味がない。
だから、初詣の時もおみくじは絶対に買うことがないし、
運勢なんとかというものにも縁がない。
でも、このコロナの蔓延で心は疲弊し、去年の春辺りから、
コロナ終焉を念じてカミュの『ペスト』を朗読したりした。
実際の小説ではペストの脅威が去ってしまったので、
ずっとそのままにしている。
思えば、知らない神社でも誰よりも早く手を合わせ、
家族の平和や世界の平和を祈願する。
絶景を見た時も祈ってしまう。
お皿を割ってしまうとなるべく縁起の良い方に考えることにしているし、
考えてみれば、結構、非科学的なのだった。
先日などはCORONAビールが特設コーナーで売っていたので、
思わず買ってしまった。
しゃれたブリキバケツに半ダース。
それは、メキシコ産のビールで少しアルコール度が低くて、
私の好みではない。
でも、このビールを飲めばコロナを飲み干すことになると、
験を担いだのだった。
人はどうしても縁起を担ぐ存在なのだろう。
自分のことを正当化するわけではないけれど、
「験を担ぐ」という心理は、どんなニヒリストにもあるのではないか。
げんを担ぐのげんという言葉を辞書で調べてみたら、
どうやら仏教用語らしかった。
験とは仏道修行を積んだしるしとあり、加持・祈祷のききめともある。
不思議なことに「験を担ぐ」という言葉は載っていなかった。
さて、もうすっかり飲み干してしまったけれど、
コロナ問題はまだまだ続いている。