昔の人は毎日のように玄関先など箒で掃いたりして綺麗にしていた。
私も小さい頃、よく親にやらされたものだった。
その頃はいくら教えられても掃除をする意味も分からず、
すぐに箒にまたがり魔女の真似をして遊び始めたものだった。
最近は来客がない限り、玄関先の掃除など滅多にしない。
家の構造は昔と様変わりし、玄関の入り口は引き戸ではなく扉がほとんどだ。
我が家の玄関扉は表面はアルミのようで、潜水艦の扉のように見える。
表面はツルツルとしていて、
明り取りの小さなガラス窓が幾つかついていているだけで、
雑巾でひと拭きすれば汚れは取れる。
扉は防犯のためだと思うけれど、
分厚い素材でできていて外と中を区切っている。
昔の引き戸に見られる小さな格子などもなく、
掃除のしやすいものが主流になっている。
そういえばマンションなども当然ながら分厚い扉で外界を遮断している。
引き戸はお店の入り口などにしか見られなくなった。
古い家がどんどん壊され、昭和風の家が消えていくのは時代の流れだ。
この思いを昭和に生きていた明治生まれの人に言わせると、
明治風の家が消えていくということか。
時はそんなふうに流れていく。
建築にも時代というものがある。
今は他者との交流は映像付きの玄関チャイムから始まる。
夕方になると軒先や玄関先の道端で涼んでいた老人たちの風景は、
遠い遠い過去のものとなった。今日は来客があるので大掃除をしている。
のんびりやっているせいか、片づけ始めてからもう三日目となる。
普段は見た目だけ良ければいいという程度の片付けしかしていないから、
来客があることは我が家がきれいになるチャンスでもある。
もちろん、これは、私だけに言えることなのだけれど、
こんな機会がないと、怠け者の私は隅々まで掃除ができないのである。
人の心も家の作りも他者との触れ合いを許さない時代なのだ。
コロナでますます顕著になっている。
家と外とのファジーな境界線などあり得ない。
我が家の頑丈そうな玄関扉を雑巾で拭いていると、
そんな時代の推移をあらためて感じた私だった。
さて、今度はトイレの掃除にかかろう。