趣味の仲間のひとりがこんな話をしていた。
彼女は老いた母親が施設に入っていて、
実家は誰も済んでいないため時々通っては、
少しずつ片づけているという。
かなり気丈な母親だったのに、今では娘のことも時折忘れる。
だから面会に行くたびにがっかりするらしい。
母親は身体は健康で食欲も彼女よりもあるという。
ずっと話していたら、
彼女は母親の長生きを願っていないように思えた。
それはきっと、残された人間がいかに大変かということを示す。
尊敬していた母親の尊厳が崩れ落ちていくのを見るのも嫌なのだろう。
だから、自分も長生きしたくないと強くいう。
人の寿命が格段に延び、高齢人口が増え、
この国に限らず文明国は長寿が当たり前になった。
特に日本では昭和33年の統計では153人だけだったのに、
何と今は8万人を超えている。
栄養状態と生活環境が昔と違い格段に良くなったからだ。
その人たちのほとんどは自分で買い物もできないし、
日常の家事も誰かにやってもらっている。
昔のようにピラミッド型の大家族ではないので、
最後は施設に頼る人が多い。
施設に入った後は、
その人の思い出と共にあったあらゆるものが、
捨てるべき不要なものとなり、
ひとり暮らしなら自宅は廃墟化する。
今はほとんどが配偶者に先立たれてからはひとり暮らしとなる。
そんなわけで彼女は自分のものも少しずつ断捨離しているらしい。
これが高齢社会の現実で、
実に人間の最終章は悲しいものだと思ってならない。