今朝、空はまだ梅雨空のままだった。
雨音はしないけれど、湿った空気が家々の屋根を覆っている。
今年の梅雨は六月の中旬から始まり、
これでもかとばかりに何日も激しい雨が降った。
屋根を打つ雨音で深夜に目を覚ましたことが何度もあった。
昨日は東北の方で川が氾濫し、大きな被害が出ている。
災害にあったのが我が家でないのが不思議なくらいあちこちで起こっている。
一体、地球はどうなってしまったのだろう。
加速度的に増えているコロナ禍に加えて相次ぐ水害の襲来、
全く受難の年といっても良いのではないだろうか。
いや、受難の年に入ったのかもしれず、
これからしばらくこうした災害から逃れないのかもしれない。
折しも今朝は携帯から緊急地震速報がビィービィーとがなり立てるように流れた。
久方ぶりの地震速報だった。
幸い身体に感じるような地震は来なかったけれど、
もし、大地震だったりしたら、
もう私たちには打つ手がないのではないだろうか。
家具は長い梅雨のおかげでいろんなところにカビが生えている。
我が家にカビが生えたことなどないのに何てこと。
二日に一度する洗濯物は生乾きにもならず、
お布団の上に広げて昔のようにアイロンをかけて乾燥させる始末。
ここまで湿気に悩まされるなんて。
部屋にクーラーがないから除湿ができないのが不便だ。
それでも、クーラーを入れる気になれないのは、
こうした異常気象や新型ウイルスを招いてるのは、
人間の生活があまりにも自己中心的過ぎたと思っているからである。
クーラーがあったら四六時中かけてしまう恐れがある。
電力で熱を外に出せば外が高温化するのは当然で、
そのぶん地球が温暖化していく気がする。
もし、なるべく自然に近い暮らしをしていたら、
永久凍土も解けず、温暖化ももっとゆっくりで、
世界中の自然災害は今よりはるかに少なかったと思う。
地球は見合った増減活動をしているに他ならない。
すべてはひとりから始まるのではないだろうか。
こうして書いていると少し空が明るくなってきた。
もしかしたら梅雨明けが近いのだろうか。
すべては自然次第だから待つしかない。
(写真はテーブルの脚に模様のように生えた青カビ)
こんな天気だから外仕事もする気になれず、
以前から興味のあった旅の本を読むことにした。
世界のロングトレイルに憧れていた私、
今回手にしたのはスペインの聖地サンティアゴへの道を歩いた人の日記だった。
サンティアゴとはキリスト教の聖人ヤコブの遺骸が発見された聖地である。
ここへ向かう巡礼道は、中世から始まって、各地から幾つもルートがあるらしい。
日本の聖地道と違い、その長さは規模が違う。
一番ポピュラーなのがフランス人ルートで全長1000キロ以上もある。
本はひと月半にかけて760キロを歩く日記形式になっていて、
その景色を写す写真は白黒で10数枚のみだった。
本を読みながら何か物足りないと感じたのは、
最近、こううううした旅の本の場合、自分が動画を見る習慣が増えて、
文章だけでイマジネーションがわかなくなったせいだ。
ピレネー山脈を越えながら見える美しい光景も想像ができない。
以前だったらこんなものだろうと脳裏に描くことができたのに、
私の脳は融通が利かなくなっている。
やはり、タブレットで動画を探してみようと、思いスイッチを入れた。
何回かの検索で同じルートを歩く人の動画が見つかった。
カテドラルでの讃美歌も聴くことができた。
耳で聞き、目で見て初めて納得する私、
自分はいつの間にかタブレットに想像力という脳の力を置いてきてしまったようだ。