いつも通る道の沿線が何となく違って見えるのは、
そこにあった建物が更地になったせいだ。
今日はそのことをひどく思った。
かなり広い敷地が赤茶けた色の更地になっていて、
どう思い出してみても前に建っていたのが何だったのか分からない。
失われた時は関係者や近所の人たちしか分からないのだ。
こんなふうに日本中のあちこちで更地が増えている。
更地にすると何倍もの固定資産税がかかるのに、
なぜか最近は古家や古工場が壊されている。
それぞれの市で特別な条例が出されているのかもしれない。
それでも大きな都市ではすぐに土台工事が始まり、
新しい建物を作る準備が慌ただしく始まるけれど、
地方都市ではそうもいかない。
更地になった土地はあっという間に荒れ地と化し、
せいぜい太陽光発電の場となるのが関の山だ。
だから、たいていが雑草の森のように様変わりしていく。
街の家々の間にそんな緑地が増えている。
「ここは俺のものだ」という言葉で説明したルソーの『人間不平等起源論』。
自分の土地には他者は絶対に入れず、それは富と力の象徴だった。
囲われた領域を作ることが自己完結的な領域でもあったわけだ。
それがもう田舎では崩壊している。
最早土地は富の象徴ではなくなった。
むしろ厄介物となる場合も多い。
すると、人がいなくなった土地は未開の土地に戻ってしまうかもしれない。
人間というものは土地を管理する存在なのだから。
この世から人がいなくなったら地球はまた甦るのだろうか。
そんな途轍もないことを考えながらハンドルを取っていた。
(補足 ルソーのこの本は1775年作。仏革命に大きな影響を与えた仏の思想家)