外出のついでに久しぶりにトラック公園に立ち寄ったら、
さすがにコースには人は数えるほどしかいなかった。
夕方になって日差しは弱くなったけれど、気温は高いままだ。
トラック一周が約2キロなので久しぶりの運動になる。
汗は滲み出るが歩き始めると、
規則的に配置された木々の影から涼やかな風が時折頬を打つ。
クーラーの冷たい風と比べると何とさわやかな自然の風だろう。
児童公園の鉄棒の前では元気な親子が一組だけ、
楽しそうな笑い声を立てて遊んでいる。
2歳ほどの女の子が棒に飛びつくと、父親が拍手し、母親が掛け声を上げた。
兄らしい小さな子も必死で親を振り向かそうとしている。
公園のデジタル温度計はまだ32度を示しているのに、
彼らも外でしかその野性を満足させられないのだろう。
仲間がいると思い、ホッとした。
隣接する小さな墓地の一角では一人の男性が墓石をせっせと洗っていた。
この墓地は新しい住宅街とこちらのトラック公園に挟まれていて、
近くにある寺の墓地なのか、
都市計画で移動されたのかはよそ者には分からないけれど、
よく見ると立ち並ぶ石塔は比較的新しげだ。
そういえば今日は盂蘭盆の最終日で送り盆の日なのだった。
私の故郷の墓地はあんなふうにくっついていなくて、
お盆には親戚中が江戸期からの戒名が続く先祖のお墓に集まるため、
墓地の石塀には石のベンチが造られていた。
親の命令で、私は親戚の誰よりも早く行って、寺のバケツに水を汲み、
枯葉を燃やし、墓石を洗い、掃除に励んだものだった。
お盆の間は家紋の入った提灯に火を灯し、
精霊を迎える最初の日から送りの日まで毎日お墓に出かけて行ったっけ。
お盆の間、高台にある墓地はとても賑やかで、
たいていがセミがうるさいほど鳴く暑い暑い日だった。
故郷を離れてからは帰省できないお盆が多かったけれど、
何とはなしにあちこちの町から漂うお盆の雰囲気を感じていた。
故郷の家族からも墓参りの報告があった。
ところが、今年はそれらの習わしが殆ど中止され、
人々の心は一変し、今や墓参りどころか、
通夜や葬式さえも人が集まらないような方法でやるようになった。
ネットの画面に手を合わせるようなことも起きている。
墓石に水をかけ、束子(たわし)で必死に洗っているその人を見て、
昔のお盆を思い出してしまった。
夕日を浴びて作業する彼はきっと汗みどろになっているに違いない。
墓地には他に墓参り人はおらず、その人の動きが際立って心に響いた。
きっと初盆なのだろう。
彼は愛する家族を亡くしたに相違ないと思った。
いつもより倍近い時間がかかって車に戻ると、
駐車場には多くの車が入り始めた。
マスクを着けたマラソン姿の人や散歩人が、
続々と煉瓦色のトラックへ向かい始めている。
夏の運動は日が沈むこれからが始まりなのだった。