今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

『コレラの時代の愛を』持って大型店舗へ避難

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あまりにも暑すぎて、夕方にかけて隣町の大型店舗へ行き読書をしてきた。

普段のお盆なら遠くの高原地帯にある涼しい山にでも出かけるところだけれど、

今年はコロナで気分が乗らず、さらに暑さが行動の何もかにもを停滞させている。

 

暑さにはかなり強いはずの私なのに参ってしまう。

よくよく考えたら今月の初めまで長引く梅雨にうんざりし、

あれほど太陽を渇望していたというのに、この極端な気候の違いは何ということか。

いかに人間が自然現象に対して無力な存在かが分かる。

おかげで私の頭も落ち着かず、

お盆頃には終わらせる予定だった『ペスト』の朗読もさぼったままだ。

 

隣町の大型商業施設へは車で30分、この走りは無駄と言えば無駄なのだけれど、

家を出るということに意味がある。

外へ出かけるには服を着替えて身支度もしなければならず、心身ともに緊張するのだ。

日常でステージを替えることは大切なことだと思う。

 

実は車で5分の某有名カフェで長時間過ごす度胸が私にはないのである。

一杯のコーヒーで2時間も長くいるのは貧乏性の私にはできない。

客が入ってくるたびに腰を上げそうになってしまう。

 

だから、不特定多数の客が行ったり来たりする店舗の椅子は気兼ねがなく、

読書をしたりネットを見たりのんびりと過ごせるのだ。

大型だから店が広いし、冷房もそんなに強くはない。

今日も駐車場にはたくさんの車が止まっていたから、

私のように涼みながら時を過ごしている人も多いのかもしれない。

 

店内では運動を兼ねて必ず階段を利用する。

水辺公園にもリトルヒルにも暑くて行けないので、

運動不足解消のために10往復ぐらいしたいものだが、

さすがに目立ちすぎて憚れる。

 

ガルシア・マルケスの『コレラの時代の愛』という分厚い本を抱え、

ソーシャルディスタンス間隔の記された長椅子に腰掛ける。

最近の長雨で彼の『百年の孤独』を思い出したため、

別の作品も読んでみようと思ったのだった。

題名も時代にふさわしい。

 

本を読んでいると、久しぶりに未知の世界を旅している気分になった。

この本も壮大で摩訶不思議な雰囲気のする物語のようである。

見たこともない19世紀の異国の光景が脳裏に広がり、

その匂いや音、気温さえ肌に感じる。

 

最近はネット動画のせいで私の想像力も衰えたけれど、

文章から伝わる五感は健在だった。

読書はした方が良いと再認識した。

 

(写真 新潮社 ガルシア・マルケス著 木村榮一訳)