今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

値上げの波

 

スーパーで小麦粉を買ったら以前と同じ値段だった。

帰宅して袋をよく見ると1㎏だったのが750g入りになっていた。

これを実質値上げというのか。

食用油や卵など様々なものも値上がりしている。

魚肉加工品などは高くなりすぎて手が出なくなったほどだ。

 

食料品が数か月もしないうちに何度も上がっているのは、

日本だけではなく世界的な傾向のようだ。

ニュースでも毎日のように値上げのことを報道している。

 

考えてみたら日本は大切な食料を輸入に頼っていて、

自国で間に合うものはお米ぐらいしかない。

食料品もそうだが燃料も他国から買っている。

 

そういった原材料を買う代わりに、

工業製品を輸出して経済の辻褄を合わせていたのだけれど、

ここにきてそれらも他の国々に追い越されている。

 

いつかはこんな時が来るのではないかと危惧してはいたけれど、

その余りのスピードについていけない。

 

そもそも油が減産され値上がりしていた時期に、

天然ガスや小麦などの生産国であるロシアが他国に戦争をしかけ、

そのことが一層私たちの暮らしを危ういものにしている。

 

今の世界のバランスはとて不安定になっていて、

誰もが危機感を持っている。

この値上げの波はいつまで続くのだろうか。

 

日本の神様は良いなあ

散歩コースで出会った人は、

毎日のように山の小さな祠の水を取り換えているそうだ。

なるほど小さな湯呑に新しい水が注がれているのは、

こうした信心深い人がいるためか。

 

私は神様に強い信心はないけれど、

日本人の心がそうさせるのか祠や鳥居には、

自然と何とはなしに手を合わせてしまう。

 

この人はそんな簡単にペコっと頭を下げるだけではなく、

何やら長いこと手を合わせるのだった。

その後ろ姿が私の目には何か悲しげに映った。

 

散歩がてらとはいえ、毎日水を取り換えるのは並大抵のことではない。

その散歩道にはお掃除や草刈りをする男性もいて、

散歩道の周りはきれいになっている。

 

こうして無償の行いをする人たちって、

何か現世に深い苦悩があるのだろうか。

人が神の前に立つ時は何がしかの願い事がある場合が多い。

私にもたくさん経験がある。

 

凍ってしまった水を取り換えていた女性は私に追いついて、

こちらが何も聞かないのに悩み事を打ち明けた。

どうやら家族が病で苦しんでいるらしい。

 

その病名から彼女の大願成就はあり得ないとしても、

神社のお掃除をすることで何か心が落ち着くのかもしれない。

大昔から人々は自分の力ではどうしようもないことは、

神様に祈るしかなかったのだ。

 

こんな時、日本の神様は良いなあと思ってしまう。

 

 

 

 

 

officeどうする?ついに壊れたパソコン

 

10年前から使っているウインドウズ7のノートパソコンは、

液晶に線が出るようになったし、サポートも切れたので、

ネットを繋げずたまに文書や表作成をするだけになっていた。

 

なぜなら新しいウインドウズ10と11のパソコンには、

マイクロソフト社のofficeソフトが入っていないから。

月に何度も使うわけではないので、

文章はこの古いノートに入っているoffice2003で十分だった。

パソコンの性能も良く、写真や動画の処理が早くて結構重宝していた。

 

これが突然に電源が入らなくなって、

断末魔のように一度点いた後、息絶えた感じだ。

その後、コードを差し込み直しても駄目だった。

 

でも、ハードディスクの中には大切な文書が残ったままだ。

いきなり壊れてしまったのでバックアップしてないものも多かった。

諦めきれず納戸にしまう前に一度電源を入れてみたけれど、

何の反応もなく完全に壊れてしまっている。

もう諦めるしかない。

 

さて、これから文書作成はどうしよう。

オフィスのソフトを買うのは勿体ないし、

他の互換ソフトは何となくセキュリティが不安だ。

 

色々調べたら多少簡易版的だけど、

オフィス365は無料のウェブ版があるらしい。

ただし保存はワンドライブだけになる。

だから、常にネット環境が必要だ。

それも何となく不便だし、嫌な感じがする。

今までのように自分のパソコンの内部だけに保存したい。

 

悩ましい問題だ、どうしよう。

(写真 一瞬だけ電源が入ったのに)

 

 

コロナ禍で増える無駄

 

よく利用するビジネスホテルは、

朝食がバイキング形式になっていて年々サービスが向上している。

最初の頃はせいぜいコーヒーとおむすび程度だった。

 

ところが今は競争が激しいのか、

ちょっとしたシティホテル並みになっている。

その地方ならではの名物料理もあったりする。

 

今回の朝食は和食と洋食を選ぶことができて、

それぞれおかずが10品目以上もあった。

手頃な宿泊料金でここまでしなくてもと思うほどだ。

 

バイキングはつい何でもお皿に乗せてしまいがちで、

そのため食べられなくて廃棄する人も結構多い。

私の場合、少し恥ずかしいけれど、お皿には少しだけよそおい、

足りなかったらまた貰いに行くようにしている。

 

今は配膳に向かう際、お客も使い捨てポリ手袋を使わなければならない。

コロナ前は素手でトングやお茶碗を取っていたのに、

何という無駄だろう。

この傾向はずっと続くように思われる。

 

そこには自動ポリ手袋装置があって、

自動で手袋に空気がシューと送り込まれ、

膨らんだそれに掌が抵抗なしで収まってしまうのである。

 

自動でやっているのは、

お客の回転が速くなる効果があるのかもしれないけれど、

無菌状態への期待だと思う。

まるで医療現場の処置室みたいで、驚いてしまった。

 

コロナのせいでこうした新製品が開発され、

新しい装置を開発し儲けている企業がたくさんあるに違いない。

 

数えただけでも、空間を区切る大きなプラ板、マスク、

体温計測機、自動消毒器、酸素濃度計測器など、枚挙にいとまがない。

ワクチン販売会社などはその最たるものと言える。

 

この先どうなるのか首を捻ってしまう。

 

 

 

外宮で思った日本の神様たちのこと

 

極太なのにふあふあした不思議な伊勢うどんを食べた後、
順番通りに外宮の鳥居をくぐった。
ここは豊受大神(とようけのおおみかみ)を祀っていて、
天照大神の食事を用意する宮だそうだ。
よってすべての産業の神らしい。

 

何とその食事の儀式は1400年、途絶えたことがないという。
遷宮の建て替えも応仁の乱の時代を除いては滞りなく続けられてきた。
今ある祠は隣の敷地に10年後には新しく立て直される。
それが幾つもあるのだから、その財力に感心してしまう。

 

古い材木は各地の神社で再利用されると言うが、
新しい材木はどこで調達するのだろう。
神宮を取り囲む森の木は見たところ何百年物が林立している。
この森の奥地から切り出されるのだろうか?

 

コロナの今、日本中の祭りが中止になったけれど、
ここは全く別の世界が広がっているように感じる。
たとえ宮の中で流行り病が起こったとしても、
天照大神への食事の儀式はとり行われることだろう。

 

建物は神明作りと言われ、とてもシンプルだった。
参拝者は玉砂利の敷き詰められた道を進み、
鳥居に一礼し、拝殿に向かって2礼2拍し、

生きていることに感謝する。
どうやらここは願い事はしてはならず、

神に感謝するだけだということだ。

 

 

参拝客を観察していると人々の全てが、
私を含めて天照大神を特別な神様みたいに感じているように見える。
これは一体何だろう?
恵みの多い太陽の神様だからか?

 

古事記もまともに読んだことのない私たちがなぜ?
外宮を回りながら八百万神について考えてしまった。

勉強しなければ。

 

 

 

伊勢にやってきた

 

ひょんなことから伊勢に来てしまった。
いわゆるお伊勢参りというやつ。
神社についてどうのこうのというのはないけれど、
あちら方面に行くついでに足を延ばすことになったのだ。

 

関東に住む者にとって近畿地方や伊勢方面は地理が全く分からない。
電車もどんなふうに走っているかも分からない。
人間って私は特に、

自分のテリトリー以外に人が住んでいることさえ不思議に思える存在だ。
だから、ネットで調べたとおり行くしかなかった。

 

名古屋で新幹線を降り、近鉄電車のホームへ向かう。
この時は伊勢市にJR線も通っているとは知らなかった。
とにかく近鉄特急のビスタカーという座席指定車に乗り込んだ。

 

桑名とか津とかの耳慣れない駅を通ると、
遠景には雪を被った山々が見えたが、あれらが鈴鹿山脈なのか?
御在所岳あたりなのか?


南の方に行っているのに雪があるのが不思議だった。
そんなことを思いながら1時間半ほどで伊勢市に着いた。

 

駅に降り立つとここがかの有名な伊勢神宮が鎮座する町とは思えないほど、
とても地味で静かなところだった。
駅前によくある高層ビルなどが見えなかった。
駅から歩いてすぐに外宮という最初にお参りすべき宮があると言うので、
早速向かうことにした。

 

伊勢神宮とは天照大神を祀っていて、
天皇家と深く関わりのある神社で、
1300年ほどの歴史があるという。

 

それも20年ごとに建物を建て替える式年遷宮という習わしがあり、
戦国時代を除けばそれが滞りなくずっと続いているというから驚きだ。
神社というものの力を感じざるを得ない。

 

遷宮とはどういうものなのか、とても興味がある。
この目でその仕組みみたいなものを少しでも確かめてみたい。

 

でも、まずは名物だという伊勢うどんを食べてから鳥居をくぐろう。

 

間違ってネット注文した私

 

長いこと使っていた圧力鍋のパッキン、

ピタリとはまらずすぐに落ちてしまい、肝心の圧もかからなくなった。

見た目もボロボロでどうやら役目が終わったみたいだ。

 

とはいえ、本体は金属だから全くおかしくない。

ステンレスの束子で磨けば新品のようにピカピカになる。

特に今使っているものは小さ目の片手鍋形式なので、

とても使い勝手が良く重宝していた。

 

今まで圧力鍋は幾つも買ったけれど、

このパッキンの摩耗と、パッキンの値段の高さのために、

長く使うことはできなかった。

泣く泣く捨ててきたのである。

 

パッキンの値段に少し足せば、

店にはたくさん安価な圧力鍋がよりどりみどりだ。

でも、今回はパッキンを買ってこのお鍋を使い続けようと思った。

 

そんな持続可能な暮らしを目指して、

ネットで同じメーカーのパッキンを探してみた。

すると、1500円ほどで合いそうなものが見つかったので、

ちょっぴり不安もあったけれど取り寄せてみた。

 

すぐに見た目も重さも同じに思えるパッキンが送られてきたので、

おそるおそる蓋にはめてみた。

すると、何と古いものと同じようにぽとんと落ちるのだった。

 

袋には説明書みたいなものが入っていて、

適合する蓋を確かめるような注意書きがあった。

不明な点があればお客様センターに質問するように、

フリーダイヤルが記載されている。

 

そこで、今度は圧力鍋業者のホームページを開き、

よくよく読んでみた。

すると、過去に売り出されたお鍋が表になっていて、

その全てのパッキンは個々に違うとある。

 

つまり、内径、外形、重さなどで注文してしまった私のミスだったのだ。

さあ、どうしよう。

注文先はネットのアマゾンである。

面倒な返品手続きなどやったことがない。

このままゴミにしようか、製造元の業者に相談してみるか、

悩ましい限りだ。