散歩コースで出会った人は、
毎日のように山の小さな祠の水を取り換えているそうだ。
なるほど小さな湯呑に新しい水が注がれているのは、
こうした信心深い人がいるためか。
私は神様に強い信心はないけれど、
日本人の心がそうさせるのか祠や鳥居には、
自然と何とはなしに手を合わせてしまう。
この人はそんな簡単にペコっと頭を下げるだけではなく、
何やら長いこと手を合わせるのだった。
その後ろ姿が私の目には何か悲しげに映った。
散歩がてらとはいえ、毎日水を取り換えるのは並大抵のことではない。
その散歩道にはお掃除や草刈りをする男性もいて、
散歩道の周りはきれいになっている。
こうして無償の行いをする人たちって、
何か現世に深い苦悩があるのだろうか。
人が神の前に立つ時は何がしかの願い事がある場合が多い。
私にもたくさん経験がある。
凍ってしまった水を取り換えていた女性は私に追いついて、
こちらが何も聞かないのに悩み事を打ち明けた。
どうやら家族が病で苦しんでいるらしい。
その病名から彼女の大願成就はあり得ないとしても、
神社のお掃除をすることで何か心が落ち着くのかもしれない。
大昔から人々は自分の力ではどうしようもないことは、
神様に祈るしかなかったのだ。
こんな時、日本の神様は良いなあと思ってしまう。