庭の苺の実が赤く色づき始めると、
朝と夕方に収穫に追われる。
苺はいっぺんに赤くならないから、
生い茂る葉の中から熟れたものを探して一つ一つ摘むのだ。
いつの間にか芝生の生えていた場所の全てを、
苺の葉が覆いつくし、今はまるで雑草のように蔓延(はびこ)っている。
これはお店に売っている大粒のではなくて、
味には酸味があってまるで野生のそれを感じさせる。
だから、わが家の苺は生食よりもジャムにするのが一番だ。
少しずつ採れていた苺が日に日に増えだし、
一週間も経つとボールいっぱいになる。
そうすると重さは1キロを超える。
あっという間にわが家の小さな冷凍庫には入れなくなるので、
ジャム作りが数日続くことになる。
大鍋に苺と砂糖を入れて、
上に白く泡立つアクを除きながら30分ほど煮詰めるのだ。
同時に保管する瓶も20分ほど煮沸して消毒する。
瓶はリサイクルなので、その点は気を付けなければならない。
友人達や近所の人に差し上げるので、
瓶のことは「少し古くても大丈夫です」とくどいほど説明する。
でも、今年はその保存瓶が足りなくなって、
金色の蓋のついた新しい瓶を百円ショップで買い足してきた。
人は見てくれでものを判断することが多い。
かつての過剰包装がそうだった。
いくつも包装で飾り立てたものに商品価値があった。
私のジャムもリサイクル瓶を使ってはいるけれど、
最後の包装に気を付けている。
ジャムの瓶にはラベルを貼って蓋には可愛らしい端切れ布を被せ、
去年のトウモロコシの皮で作った紐で巻いている。
中味で勝負したいけれど、瓶にはおしゃれをさせたい。
これは手作りジャムへの親心、つまり、愛に他ならない。
かつての過剰包装もこういう気持ちから始まったのだとすると、
その気持ちも分からるような気がする。