昔、上海には外国人が住む租界(外国人居留地)と呼ばれる場所があった。
1842年の南京事件で列強が設けた共同租界、フランス租界、
そして、1937年に日本軍が中国から勝ち取った租界などである。
日本の租界ホンキュ(虹口)はユダヤ人を積極的に受け入れていて、
ナチスの迫害から逃れてきた彼らの一時避難地だった。
私が読了した「ナチスから逃れてきたユダヤ人少女の上海日記」
という本は、今まで思い描いていた租界のイメージを180度変えてしまった。
租界というと戦後の流行歌などで、
「夢のスマロの霧降る中で何も言わずに別れた瞳、リル、リル」
にあるようなひどくロマンチックな場所だと思っていた。
スマロ(四馬路)はホンキュと川を挟んだ日本人租界だ。
両親と10歳の著者は海を渡って上海のホンキュのユダヤ人コミニュティで暮らす。
狭い空間に共同の用足し壺があるような不潔な場所だった。
部屋にはゴキブリにネズミと南京虫がうようよしていた。
それから8年半ほど貴族の娘だった彼女の忍耐と、
想像を絶する苦難の日々が始まる。
戦争は貧困を助長させ人をとことん不幸にするのだ。
ホンキュの朝は便壺集めの男の声から始まる。
通りに出ると生ごみと糞尿の山があり、
人の死体や動物の死体が腐って道端にゴロゴロしている。
それらのせいで中も外も息ができないほどの悪臭が漂っていた。
日本人租界がそんな状態なのだから当時の日本も同じようなものに違いない。
中でも悲惨なのは生まれたての赤子が、
「ガール・チャイルド」として捨てられている。
中国では女の子は望まないから捨てるのはごく普通で、
わざわざ望まざる子を助けるものは誰もいない。
裸同然の子供たちは、
トイレがないため尻に下痢を止めるためのしっぽをつけている。
ゴキブリを走らせてレースをする彼らにも段々と慣れては来るが、
生き続けられるのは終戦を願い、渡米への希望があるからだ。
著者は逃げなかった故国の親せきや友人たちがことごとくガス室に送られたり、
人体実験をさせられたりして悲惨な生涯を終えたことを知り、
末尾に「結局のところ私は幸福なガール・チャイルドだったのだ」と記している。
だが、10歳からの華麗であるべき多感な少女時代を、
異国の地でただただ苦労だけしか体験せず過ごしたことが、
果たして幸福と言えるだろうか?
著者ウルスラ・ベーコンは米国で出版業をしている。