今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

イチジクのスムージーに思う

 

お隣さんにイチジクをもらったので、

氷とイチジクをフードプロセッサーの中に入れてスムージーにした。

このフードプロセッサーは小型で使いやすく、

かき氷ができるので重宝している。

 

機械が砕くのだからどんな果物でも簡単にできる。

暑くてどうにかなりそうな日は一日に3度も作ったりした。

氷がキーンと体内に入ると、生き返った気分になる。

 

イチジクを半分に割ると中にあるのは花だという。

イチジクは漢字にすると無花果と書く。

初夏はまだ中は空洞で秋になったら満開になるようだ。

確かによく見ると花が咲いているようだ。

 

イチジクというと私は、イエスのひどい呪いを必ず思い出す。

エスが磔にされる数日前の話だ。

断食日を終え、お腹が空いたイエスは、

実のなってないイチジクに腹を立て、

「枯れてしまえ」と呪った。

 

翌日に弟子がイチジクの木が枯れているのを知った。

イチジクの季節でもないのに言いがかりをつけたイエス

この出来事はどういう意味だろう。

 

前に住んでいた家には無花果の大きな木があって、

食べきれずに落ちた実に困り切ってしまった。

その時も、よく聖書のどうも納得いかないこの逸話を思い出していた。

 

 

後世の聖書研究者は彼のこの不可解な発言を、

あらゆるこじつけで正当化しているように私には感じられる。

そんなことがあってよいのかと言いたくなる。

 

聖書にはたとえ話が多いというが、

明らかにイエスの言葉は自然の摂理を無視している。

まるで駄々をこねる子供のようだ。

 

イチジクを食べながらこんなことを思うのは私だけだろうか。