友達を誘って隣町の紅葉の名所に行ってきた。
我が家からは40分ほどで行けるので毎年行っている。
場所は市街地にある丘陵地帯で、車を下りたらすぐに見物できる。
しばらく気温が高い日が続いていたから、
それほど期待はしていなかった。
でも、見ごたえのある紅葉が視界に広がってきて、
友達も「うわっ、きれい!」と感嘆の声を上げていた。
モミジが植えられた丘陵地には見物者も結構いて、
それぞれに風景をカメラや携帯に収めている。
奥山には行けない足の弱った老人も来ている。
何といっても紅葉は赤いモミジが目立って素晴らしい。
欲を言えばそれに黄色や黄緑色の葉の木が所々に入っていると、
そのグラデーションの中でモミジの緋色が更に引き立つ。
そして、夕日に当たる紅葉の風景は昼のそれよりもドラマチックだ。
自然が織りなす美は人の心を打ってやまない。
どこを撮ってもそのフレームは美しい絵葉書になりそうだった。
「紅葉」という言葉を広辞苑で引いたら、
かなりのたくさんの言葉が載っていた。
紅葉のつく言葉で、
「紅葉狩り」以外はほとんど聞いたことがないものぱかりだった。
「紅葉狩り」は山野に紅葉を訪ねて鑑賞することとある。
どうやら平安人もその美しさには心を奪われたようだ。
春の花見と違い、紅葉狩りには浮ついた印象はなく、
どことなく去り行く年を惜しむかのような気持ちもあって静けさが漂う。
絢爛豪華さでは春の桜より上だと思うが、
花と葉の違いは人々の意識を異にしているようだ。
それにしても「狩り」と付けるのはどうしてなのだろう。
訪ねたのは夕方だけど、おそらくお昼だったとしても、
紅葉広場でランチシートを広げる客はいなかったと思う。
さて、この真っ赤なモミジもおそらくすぐに枯れ落ちて、
木枯らしがその縮れた枯葉を樹間に舞い上がらせるだろう。
今年もあと残すところ僅かしかない。
何と月日が経つのは早いのだろう。
そんな思いを強くするのも、
今年最後の紅葉の饗宴を見たからに違いない。