散歩をしていた時、お米農家の人に頂いた水苗が、
刈りいれ時をせかすように金色の穂をつけていた。
稲の育て方など知らない私だから、
白い発泡スチロールの箱に土と水を入れて、
適当に苗を植えておいたものだった。
水を枯らさないだけの放置稲作だったけれど、
苗はどうにか育ち、大きくはないが穂先に玄米がついていた。
いよいよ刈り入れだ。
生まれて初めての稲刈りは鋏でチョキチョキと根元を切るだけで終わった。
その量は稲わらが一掴みできた程度に過ぎなかった。
穂先にある実を手で千切り集める。
どうやら半分は空っぽのようだ。
たった少しの量なのにかがめた腰が痛くなった。
弥生人は大陸からやってきたお米を育てることができて、
狩猟の移動生活から農業の定着暮らしとなり、かなり人口が増えたと思う。
でも、初期の頃の稲などわずかな実しかつけなかったに違いない。
今のお米はそれ以来数千年?もかかって品種改良され、
一本の稲にたくさんの穂をつけるようになっている。
また農作業は田植えから精米まですべて機械だ。
私の箱水田は一掴みの稲しかできず、
おそらくこれでは赤ちゃんの一回分のお粥にもならない。
捨てても惜しくもない量だ。
それでも皮をむいて炊いてみようか。