真冬を除けば一年の間中、
庭や畑のある家は雑草との戦いがあって頭痛のタネになる。
毎日毎日少しずつ抜いても次々と雑草は増えていく。
家に限らず公共の車道や歩道の雑草取りも、
かなりな予算を使っていることだろう。
そんな中でも名前は知らないけれど、
稲のような感じの細長い雑草が野菜の間に根を張り、
その強靭な生命力には驚くほどだ。
それが今日は印象が全然違った。
外の気温がマイナスになり、室内の窓辺に置いた植木鉢の中に、
その小さな雑草が1本だけ立っていたのだ。
その姿が何となくしおらしくて気になって、
そのままにしておこうかなと想ったけれど、
やはり、抜いてしまった。
でも、こうして一本だけ観察してみると、
とても可愛らしい姿かたちではないか。
名前のない草などないのに、
雑草だからと調べようともしなかった。
人間が決める価値とは何を良しとしているのだろう。
この草がたった一本なら可愛く見えて、
大量に繁茂していたら憎たらしく見える。
つまりは量なのか。
あちこちの庭や野山に嫌というほど同じ花が咲いていたら、
どんなに美しくてもきっと雑草のように取り扱われるかもしれない。
人間の美意識とは不思議なものだ。
そんなことを気づかせてくれたこの一本、
名前を調べてみようかと思っている。