最近、「正常性バイアス」という言葉を良く耳にするようになった。
この言葉は心理学用語で人が非日常的な危機に陥った時、
自分に不都合な情報には目をくれず、それを日常の範囲だと思い、
正常を保とうとする心理らしい。
いわば日常性を維持しようとする力でもある。
そこで、私なりに言葉の意味を考えてみた。
バイアスが洋裁で使う斜めに切ったバイアステープのバイアスと同じで、
斜めという意味はとても分かる。
バイアスを広辞苑を引いてみたら、
「所定の動作状態に保つための電極にかける電圧」とか
「偏見」の意味があった。
「斜め」を和英辞典で調べてみると、他の単語が出たから、
バイアスは主に「偏見」という意味に使われているようだ。
「バイアスに物事を見る」とは、
「ステレオタイプ」と似たように、
自分の持つ偏見の目で見るということだろう。
例えばある国が嫌いだとすると、
そこで生まれた何の罪のない子供でさえ憎く思う。
その子を憎悪する理由はないのに、
それがステレオタイプ的バイアスな見方だ。
そうした見方が大多数なので、
世界から戦争をなくすことができない。
私はどちらかというとバイアスなく物事を見る方だけれど、
「正常性バイアス」は確かにあると思う。
例えばトンネルの入り口で「火災発生中」と手書きの看板が出ていたとする。
運転中の私は「正常性バイアス」が働いて、
まさかそんなことはないだろうと、
トンネルの前で止まるという今までと違った行動をせず、
そのまま現状を維持して突っ走って入っていく方だ。
また、50年に一度の大雨と言われても、
まさか我が家が浸水するわけがない、
まさかこの家が潰されるほどの大地震が来るわけがない、
私はこの部屋で食事をし、この家でいつものように寝る。
世界は自ずから正常を保ちたいのだという虫の良い考え。
だから、「正常性バイアス」とは、
ある意味楽観的な考えだと思う。
もともと人間はそれがないと生きていけないのである。
バイアステープは布の切断部を覆い、ほつれを防ぎ、
トランジスタには一定の電圧をかけ正常性を保つ。
正常性こそが日常だ。
コロナが騒がれ始めた時、
インフルエンザでは何人も死んでいるのにと軽く考えていた。
ところが、どうだろう。
「正常性バイアス」的な考えが大多数だとしたら、
世界中の施政者たちがこんな閉塞的異常世界にはしていなかったはずだ。
人々の心の中にはかつてないほどの絶望感がある。
「正常性バイアス」の拠り所がなくなってしまったようだ。
コロナは底知れぬ闇へと私たちを導いていくのか。
或は、また生きるために新しい「正常性バイアス」を生み出すのか。