先日のこと、通りの向こうのAさんの家の前に、
引越センターのトラックが止まっているのに気づいた。
まさかAさんが引越するのか、それとも同居人が増え転居してくるのか?
気になって窓から覗いていると、
どうやらトラックの中には段ボール箱が何個か積んであるように見える。
掃き出し窓からパソコンデスクのようなものが運び出されている。
そういえば最近2階のカーテンが取り外されていたっけ。
ずっとそのままだから何となく不安だった。
どうやらAさんが引っ越すようだ。
留守がちの人だけれど、顔を合わせると必ず挨拶したし、
世間話をすることもあった。
本当にこの町から去ってしまうのかと思うと淋しくてならない。
Aさんは気さくで面倒見の良い人だ。
独り身なのに花も育てていて手入れも行き届いている。
手も器用で庭にしゃれた物置小屋など建てていて、
散歩をするたびに羨ましく思っていた。
Aさんが表に出てきたのを見計らい、事情を聞きに駆けて行った。
すると、落ち着いたら私の家へも挨拶に来るつもりだったと、
申し訳なさそうに言った。
それから、数日して彼が玄関のチャイムを鳴らした。
いよいよ明日からもういなくなると言う。
実は結婚して、先方の家に住むことにしたのだ。
だから、自分の家は必要なくなったのである。
結婚はめでたいことなのに、心から喜んであげられない。
あの家が空き家になるなんて、淋しくてならない。
何でも言える人なので、そう正直に言ったら、
「すみません」と頭を下げられた。
Aさんの幸せを祝福しなければならないけれど、
人間は、特にこの私は自分のことしか考えない。
本当に情けないことだ。
「花に嵐のたとえがあるが、さよならだけが人生だ。」
(唐の詩人于武陵(うぶりょう)の『勧酒』を井伏鱒二が和訳)
まさにその通り、彼の門出を祝わなくては。
頂いた洋菓子を噛みしめながら、しみじみとそう思っている。