庭の芝生を削っただけの小さな畑。
初冬に植えたサヤインゲンの苗は大分育って、
白い花の蕾ができている。
強風で何度も倒れた支柱は、
庭木に結んだ長い紐で引っ張られやっと立っている。
それでも、五月にはエメラルド色の絹サヤが毎朝収穫できるだろう。
今日はツルナシインゲンの種を撒いてみた。
わざわざ種まき用の土を買うのはもったいないので、
菜園の土をふるいにかけて、サラサラにして再利用した。
種は去年買ったもので十分間に合った。
それを小さなポットに入れて、3粒づつ撒く。
ポットを集め、土を作り、いちいち種を撒くのは面倒だけど、
こうして丁寧に準備しないと、
新鮮な自家製野菜を食べることはできない。
何でも仕込みというものが大事なのだ。
そう思うと、コロナ騒ぎで仕事が寸断され困っている多くの人たちのことが頭を過ぎった。
どんな生業であっても、毎日が仕込みと収穫の連続なのだ。
昨日と今日の連続性の中で人々は生きている。
さて、今度はこの種が双葉を出して苗になったら、
畑に移植しなければならない。
そのための畝を作り、木灰や肥料を入れて耕すのだ。
このインゲンが収穫できる頃には、
ウイルス騒ぎがぜひとも終わっていて欲しい。
今の切なる願いはただそれだけ。
そんな思いに身につまされながら、
種蒔きに勤しんだ私だった。