昼はいつもの水辺公園に車を走らせた。
コロナ騒ぎがなかった以前と比べ、
より多く外へ出たくなるのは、
私たちに忍び込む異常な閉塞感のせいだろう。
今日はいつもと違う駐車場へ。
この公園は全周5キロほどあって、
あちこちにきれいなトイレや駐車場が設けられている。
私はここを時計回りに歩くのが習慣になっている。
背丈ほどもある菜の花がびっしりと水辺を囲み、
それを鑑賞しながら荷室のマイキッチンでインスタントラーメンを作って食べた。
幸い私の車は、小さいながらアウトドア仕様なのだ。
時はこともなげに春を告げている。
風もなく空と水の青と花の色、そして、鮮やかな新緑、
何とも贅沢な舞台装置だろう。
おかげで格安のラーメンも何倍もおいしく感じられる。
私と同じように家から飛び出したいのか、
かつてより多くの人が遊歩道を行きかっている。
マラソン人もちらほらいる。
窓の外に人が動いていると落ち着かないので、
私も早めにウォーキングにかかった。
5分ほど歩いた頃、前から手を振る人がいる。
目の悪い私は近づくまで分からなかったけれど、
サークルの仲良し友達だった。
先に過ぎ去っていた男の人にも見覚えがあった。
でも、マスクをしているせいか二人とも気づかなかった。
友達の夫さんだ。
「奇遇だねぇ」と喜び合った。
お互い歩く方向が反対だったから会えたのもある。
ひと月以上も会っていなかったので、
友達に合わせて習慣をさておき、
反時計回りに変えることにした。
彼らの止めた駐車場まで並んでウォーキングしながら、
この間の出来事をお互い報告しあった。
おしゃべりはとりとめのない話ばかりだった。
別れ際に「今度いつ会えるんだろうね、いつから普通に戻れるかなあ」と、彼女は言った。
「それまで、生きてられるかなあ?」と、私は笑って返した。
もちろん冗談だということは分かっている。
でも、心の片隅に覆い隠している不安があるのは事実だ。
どこかに今までとは違った共通の不発弾を抱えている。
友達じゃなくともここを歩いている人を含め、
世界中の老いも若きもそうだろう。
早く嵐が去ってくれますようにと祈るのみである。