旅先の知らない土地を歩いてみた。
いつも車を利用するので、わざわざ下りて散歩するようなことはない。
イベントが雨で中止になり、私は自由行動をすることにした。
他の人たちは買い物などしたりして、
宿のチェックイン時まで食べ物屋でおしゃべりをして過ごすらしい。
せっかく遠くから運転してやってきたのだから、
この地をぶらり歩いてみることにした。
霧雨が降っていたけれど苦にはならないほど。
走る車に目立つように赤い傘を差して歩いた。
国道を反れ川沿いにある旧街道に入った。
限界集落のその村は観光地である渓谷のみが客を呼んでいるようだ。
雨が降ったりしたら閑古鳥が鳴く。
旧道際に数戸の民家があり、硝子戸の向こうにおじいさんの顔があった。
外から挨拶をすると、奥さんが庭に出てきた。
湧き水が落ちる池があり、苔むして美しい。
このあたりで見物するところはと尋ねたら、渓谷だと言った。
私が雨で渓谷歩きが中止になったことを説明し、
村の中で名所はないか聞いてみた。
ダム湖ならどうかと教えてもらったので、
そこへ向かって歩き時間を過ごすことにした。
ついでに清々しい湧水から水を頂いてお礼を言った。
それから珍しい飾りがある家を見つけたので、
大声で「ごめんくださーい」と叫び、住民を呼び出した。
写真を撮りたかったから。
女性が出てきて、その珍しい飾りについて説明してくれた。
どんど焼き後に各戸に配られる火除けの飾りで「柳」というらしい。
しなった竹で丸くブーケに設えてある。
色紙の飾りはどこかしらチベットの山の旗に似ている。
その人はこの村のことを詳しく教えてくれた。
写真もどうぞと言ってくれ、私はその飾りをカメラに収めた。
その人と別れ再び国道に戻ると、
湖の近くで歩道脇に設置されたモニュメントに気付いた。
説明版にはこの地域にはトロッコが走っていたとあり、
良く見たら草むらには二本の錆びたレールがあった。
長さは10mほどだろうか。
そのレールの上に丸太を積んだ箱のようなものが置かれ、
当時の様子を伺わせている。
これは絶対に歩かないと出会えない近代化遺産だ。
昭和の初期から40年代までこの道にはトロッコがあり、
低地の町まで30キロ以上も斜面を滑る重さだけで物流が成り立っていた。
戻りは馬がトロッコ2台を引いて上げたという。
どうやら山国にはあちこちにあった軌道らしい。
ダム湖の公園を散策し、帰路に着くと、
最初に水をもらった女の人が違う家の敷地にいて、
「どうでしたか?」と声をかけてきた。
家が大きいので不思議がると彼女は民宿をやっていると言った。
今は年なので常連さんだけにしているとか。
私がトロッコの話をすると、
今通っているこの道にトロッコの軌道があったと教えてくれた。
その軌道は渓谷の方から続いていたという。
自分がそんな歴史的な道を歩いているのだと思うと、嬉しくてならなかった。
道はすぐに国道と合流し、軌道の旧道は川沿いに低くなって
歩行禁止の廃道となる。
そのわずかな距離を歩きながら、
かつての人々の生業の凄さは想像以上だと思った。
宿に戻ると、まだ4時だというのに宴の用意が整い、
すでに仲間たちは乾杯の後だった。
私は映してきた写真をみんなに見せ、
一期一会の人たちとトロッコの話をした。